娘たちの「なんで?」222件を分類して考えた「なんで?のメカニズム」
先日、これまで記録してきたアーネとジージョの「なんで?」222件を整理・分類するということをしてみました。そこでみえてきた「なんで?」のメカニズムについて書きました。
娘が4歳から5歳のあいだに「なんで?」と質問したこと200選
ただブラウザで眺めているだけでは整理分類できないと思い、なんでをプリントし、1なんで?ずつ紙に貼るという作業を行いました。
書きたいことは山ほどあるんですが、ここでは整理・分類しみてわかったことの概要だけを書いておきます。
先に概要図を出します。ちっちゃいので図をクリックして拡大してご覧ください。
まず、アーネとジージョの「なんで?」の対象は実に多岐にわたっていました。
人の体、服装、食べ物、動物、機械といった目にみえてに触れられる具体的なものから、感情や規則、数や言葉、価値観といった抽象的なものまで。多種多様です。何度も書いていることですが、私たち大人が知っている(つもりのもの)もあれば、考えもつかなかった「なんで?」がたくさん出てきます。
そうした「なんで?」の対象も、姉と妹で同じ対象を見てもまったく違う情報・要素について「なんで?」と聞くことがあります。
同じ対象でも、色に注目するものもあれば、触感に注目するものもある。機能に注目するものもあれば方法に注目するものもある。情報の重みづけが異なるといいましょうか。
前方後円墳のようになってしまいましたが、表現したいのは「一つの対象には多様な情報・要素がある」ということです。こうした対象とそれがまとっている情報や、対象を構成する要素は、子どもの目、耳、鼻、口、手や肌といった五感を通じてインプットされます。
インプットされた情報は反射的に短く(早く)フィードバックされるものもあれば、子どもの脳みその中にある知識や過去の経験を参照するものもあると思われます。例えば、前者は熱いものをさわって「なんであついの?」と聞くよなうな類のもの。後者は自分の知っていることと違うため、「なんで(自分の知っているものとちがって)ないの?/あるの?」と聞くような類のものです。
こりゃいったいどうなっているんだろう?とワクワクしてしまうのが後者のほうです。自分が経験したことや獲得したり覚えたりした知識を参照したとき、子どもが持っている思考の種類に結びついて色々な「なんで?」が生まれていると思われます。
思考の種類には、「なんであるの/ないの?」という表現として出てくる「有無」や「欠如」。知っているものごととの違いを表現する「比較」や「類比」。「順序」や「程度」、「因果」や「相関」といったものもあります。さらには「なんで◯◯なの?」と聞いたあとに、すぐさま「◯◯だからかなぁ」と自分で推測・類推することも出てきます。
こうした思考の種類は最初からこういうものを持っているだろうと考えて用意したわけではりません。222の「なんで?」を一つ一つ見ていくなかで、娘たちがつかった言葉から「これは欠如」「これは比較」というふうに整理していきました。
こうした言葉は以下のように大別することができました。
これらの言葉は思考の種類と密接に関係しています(・・・というような表現が正しいのかわかりません。当たり前なのかも知れないけど、それがすごいことなんじゃないかと思いながら、そのすごさを私の知識や筆力では伝えられません)。
思考の種類と言語表現はセット・不可分なものとして現れているんだと思いますが、いったいぜんたいどこでこんな言葉を覚えているのか不思議なのです。家族や周りの人々とのコミュニケーション、絵本を読んだりテレビで見たり、個人の単独の探索・行動などで獲得しているのでしょうが、ひとつの、同じ対象でも、異なる情報や要素に着目し、さらに多様な思考の種類及び持っている言葉によって、なんで?は多種多彩になっていきます。
これをなんで?のメカニズムと呼ぶにはなんの根拠もないのでいささか乱暴だと自覚しつつ、この仕組がわかれば、凝り固まった大人の脳みそをほぐしたり、良い質問や問いづくりができるようになったり、いいことがいろいろありそうな気がします。認知言語、言語習得、発達、助詞など、どのた方面の書籍・文献がよいのかまだわかりませんが、また少しずつ学んでいきたいと思います。
あ、あとたぶん大事なことを。子どもの「なんで?」は、自分から発するものもあれば、親が話したこと行ったことに対する「なんで?」もあります。主体的なものと受動的なものというか。この親からの働きかけーというと義務感が出ちゃいそうで言いたくないのですが、子どもの語彙とそれに伴う思考の種類は、親子の会話や問答から得るものが多いと思います。
以上とりとめもなく親バカがお伝えしました。