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AIでアウトプットの高さは得られる。理解の深さは得られない

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ある提案の場で起きたこと 先日、知り合いの職場でこんなことが起きたそうです。 カスタマーサクセス部のメンバーが、お客様の課題に対する解決提案書を、AIを使って作成しました。お客様の課題を入力し、解決策を出させ、提案書の形に整える。いまのAIを使えば、体裁の整った提案書が短時間でできあがります。 そのメンバーは、お客様の前でその提案書をほぼ読み上げました。そして、お客様から提案の中身について質問されたとき、すぐに答えることができませんでした。 提案書に書いてあることを、本人が理解していなかったのです。 AIの力を借りるのは怠慢なのでしょうか 「AIに丸投げしたのが悪い」と片づけるのは簡単です。 けれども、同じことは若手メンバーだけでなく、営業部の中堅メンバーにも起きていました。経験も能力もある人が、同じ落とし穴にはまっている。そうであれば、これは個人の怠慢の問題ではなく、AIを使ってアウトプットを得ること自体に潜む、構造的な問題ではないでしょうか。 その構造を自分なりに理解するために、私は一枚の図を描きました。 アウトプットに至る二つの道 縦軸は、アウトプットの量と質です。横軸は、思考に関する「ラリー」の数を表しています。ラリーとは、書く、聞く、話す、調べるといった、考えを行き来させる行為のことです。ラリーを重ねるほど時間がかかるので、横軸はアウトプットを手に入れるまでの時間でもあります。 まず、階段を上る人を見てください。左下で困った顔をしています。考えを書き出してみるものの、うまく言葉になりません。書き出したものを一晩寝かせて見直してみると、自分の話の矛盾に気づきます。調べてみると、前提が崩れます。そうしたラリーを一回打つごとに、階段を一段上がっていきます。 各段の段差は、思考の「摩擦」です。うまく言葉にならないもどかしさや、矛盾に気づいたときの居心地の悪さのことです。この摩擦は面倒ですが、思考はここで鍛えられます。そして最後に、右上で自分なりの理解を手に入れて笑顔になります。 次に、左上にいる、輪郭のぼんやりした人を見てください。これがAIを使ってアウトプットを得た人です。ラリーをほとんど打たずに、アウトプットの高い位置にいます。しかし、その輪郭ははっきりしません。 アウトプットの質の高さと理解の深さは、別の軸 図の上部には、もう一本、左から右へ向かう矢印があり...

30年前に父がつくった会報を、AIと一緒に作り直した話

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中3のアーネが卓球の地区大会でベスト4に入り県大会出場を決めた。 自転車をこぎながら帰宅する途中で、不意に父がつくっていた『ピンポン』が浮かんだ。 『ピンポン』とは父が地元の卓球協会で定期刊行していたB3サイズの会報のことだ。私は卓球愛好家の父の試合についていく中で自然と中学は卓球部に所属した。中学の地区大会で私が初優勝したとき、父はその様子を『ピンポン』にしたためた。 そのアイデアを手にしたまま父に連絡をせず数日たった後、「いや、自分で書けばええやん」と思い直した。 ちょうど父の日が近く、贈り物といっしょに届ければ喜んでもらえるんじゃないかと思い、母に電話して「お父さんに内緒でピンポン探して送ってくれへん?」と頼んだ。 届いたピンポンをスキャンしてデータ化し、題字をトリミングしたり私のイラストをベースにAIで「トロフィーを賞状にして」などと指示を出してイラストをつくった。文体は父のものに似せて自分で書いた。 父がいつまで『ピンポン』を刊行していたのか、今も続けているのか確かめてはいないのだが、協会の高齢化や少人数化で多分出していないだろうと思い、「特別復刻版」と記した。 私のときは「前田ジュニア」だったが、アーネは父の孫なので「グランドドーター」としたが、もっとスマートな表現はなかったものか…など、大満足という出来ではなかったが父の日の贈り物とともに送った。 父の日の贈り物が届いたと父からの電話を受けた日、私たちはかなり久しぶりに長電話をした。

AI議事録、その「モヤモヤ」の正体を、ヴィゴツキーの心理学から考える

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  会議が終わると同時に、AIが完璧な議事録を仕上げてくれる。発言を漏れなく拾い、論点を整理し、ToDoまで切り出してくれる。便利なはずなのに、どことなく「これで本当にいいのか」という違和感というかモヤモヤが残る。 それをうまく言葉にできなかったのですが、ヴィゴツキーの心理学から得るものがあったので備忘録として書いておきます。

「動機」は「目的」の前にあるのか、それとも後からやってくるのか

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ジージョ(小4)が理科の授業で、「自分で自由に選んだ題材について調べた内容をパワーポイント(以下PPT)にまとめて発表する」という宿題に取り組んでいました。 PPTを作成する構成は、「動機」→「目的」→「予想」→「調べたこと」→「まとめ」という順で決まっているのですが、ジージョは「動機が変だと思う」と困っていたのです。

非エンジニアの私がGASとGeminiで手に入れた「写経司」

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 非エンジニアの私は、書籍を読んでいて仕事に活かしたいと感じた図表や文章があると、それを写真に撮って図表はそのまま保存。文章はtextファイルにまとめて保存するということを長年行ってきました。 保存したものは自分でパワポに要約して復習したり、社内共有用の資料にしたりしています。 やりたいことは単純で、“読みたいときにすぐ引ける形”にしておきたいだけでした。ところが、その“引ける形”に整えるまでが、地味に長い。 私は次のような手順で、そのための作業を実行していました。

10才の娘がChat-GPTを使うときに言った「質問を考えるのってむずかしいね」について

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私は算数ができません。ジージョ(小学4年生)の算数からしてできない。 ジージョは割り算の筆算や分数を学んでいますが、分数の計算の仕方がわからない。 ドリルの答え合わせをお願いされても、答えを見て間違っていることは伝えられても、「こう考えればいいんだよ」などとうまく教えられない。 「わかんないなぁ」「なんでこう(いう答えに)なるんだよぉ」とぼやきながら計算するジージョを見るのはとてもつらいものがあります。 そこで苦肉の策として、ドリルを写真に撮ってChat-GPTに「なんでこういう答えになるのか」と聞いてみなと言いました。 答えをそのまま聞くのはダメというルールを課して。 Chat-GPTに聞くための文章を入力しようとしていたとき、ジージョは「質問を考えるのってむずかしいね」と言いました。 私はこれを聞いて、とても嬉しくなり、ハッともしました。 ジージョがとても大事なことを感じていると思ったのです。

「問題を切り分ければ解決する」という正論が、娘を追い詰めていたことに気づいた日

「パパ、そういうんじゃないんだよぉ」 当時小学2年生だった娘が、絞り出すように漏らしたこの言葉が、今でも私の心に棘のように刺さっています。 恥ずかしながら、そのとき具体的にどんな会話をしていたのかを覚えていません。 ただ、私が娘に対して「あること」をし、その結果、娘を深く傷つけてしまったんじゃないかという苦い感触だけは、鮮明に残っています。 私は普段、仕事において「問題を切り分ける」ことを是としています。 大きなトラブルが起きたとき、それを漠然と眺めるのではなく、要素を細かく分解し、ボトルネックを特定し、最も効果的で容易なところから手を打つ。これはビジネスにおける問題解決の王道です。 あの日、私は娘の悩みに対しても、この方法を持ち出してしまいました。 (忘れてしまったのですが)ある問題を前にして困っている娘を前に、私は何も考えずに問題を切り分けようとしたのです。 しかし、娘の反応は真逆でした。解決に向かって表情が晴れるどころか、表情が曇ってしまい、冒頭の言葉を小さく漏らしたのです。 まず私がすべきことは問題を切り分けることじゃなくて、その問題を抱えて困っている娘に寄り添うことじゃなかったのか。 その困りごとに対して娘が持っていた不安、焦りのようなものをいったん丸ごと受け止めるべきじゃなかったのか。 娘の真意はわかりませんが、もし自分が同じような立場で、問題の切り分けを行われたら、逃げ道を失うというか追い込まれるような気持ちがすると思います。 娘にとってこの問題の切り分けは解決でもなんでもなく、尋問のようなものだったんじゃないか。 「問題を切り分ければいいってもんじゃない」 そんなことを、年始に思い、深く反省しています。