2017/08/10

子どもの未知を切り拓くアナロジーとアフォーダンス。

常識的にはそのような使い方をしないと考えられているモノを、自分の果たしたい目的のために、常識的ではない(と、当の本人は思い込んでいる)使い方をする――という能力は、色々なプロジェクトをしていると非常に大事な力だと思います。
よくある話では、従来それにしか使っていなかった技術や素材を、異なる分野の製品に活用するといったような類のものです。
一般的にこうした力、思考方法を「アナロジー・類推・見立て」と呼びますが、最近スキーマの存在を知ってから(参考『スキーマの手順・構造を変化させるところに、イノベーションやビジネスアイデアのヒントがある。』)、この力は大人よりも子どもの方がprimitive(原始的、未熟)な状態で豊かに持っていると考えるようになりました。
そんな仮説のもと開催した勉強会(『子どもの視点から学ぶ、イノベーションに繋がる観察力、編集力、表現力』)では、アーネ(5才)が見せた見立ての事例をいくつか紹介しましたが、「常識的にはそのような使い方をしないと考えられているモノを、自分の果たしたい目的のために、常識的ではない使い方をする」力は、アナロジーだけではないという経験をしましたので、キロクしておきたいと思います。



こちらの写真は、先日アーネがECCの教材カードを切り抜いてファイリングしていたものです。
カードを入れていくことで冊子全体が厚くなってきたため、それまでは一人で作業していたのてすが、カードを入れやすくするため「パパ、おさえてて」と言いました。
ちょうど私は別の作業をしていたため、「ちょっと待ってて」と言い終わろうとする寸前、「あ、いいや」と斜向かいの椅子の背もたれ部分と机の間にできていたスペースにファイルを差し込んで、ファイルをおさえることに代用したのです。

ここで考えたいのは、これは「アナロジー」によるものなのか?ということです。
アナロジー思考という言葉があるように、アナロジーはどちらかというと、よくよく頭で考え、対象となる事象の構造を見抜くといった「考える」ことを要請するものと考えますが、この時のアーネはこうしたことを考えるよりも早く、直感的に行動していたように見えました。

考えるよりも感じる。
それはアーネが対象に積極的に働きかけたというより、対象と状況に誘発されたような感じです。

カードをファイルに入れるために、ファイルをおさえたいとうアーネ(人間)の「強い目的・要望」。
その作業を行っていた机と、斜向かいにあった椅子。
この二つを「状況」とした上で、斜向かいにあった椅子(事物)の背もたれの両端が突き出た形(構造)」が、ファイルをおさえるという「機能・性質」を提供した。
(これらの状況のもと、事物からある機能が引き出された、という言い方をしても良いと思います)

これは同じ事物であっても、状況が変われば事物から引き出される機能は変わる、ということです。これを「アフォーダンス」とよぶと私は解釈していますが、アーネのファイリングの出来事は、アナロジーよりもアフォーダンスなのではないかと思えます。

どちらかというと人間の側にあるアナロジーと、(人・状況・事物の関係性の中で、どちらかというと)事物の側にるアフォーダンス。
事物の側にあるとはいえ、アフォーダンスも人の側に何かを成し遂げたい・解決したいと願う気持ちがなくや 、椅子は椅子という固定概念があってはアフォーダンスの感度は低いままでしよう。そう考えると、この二つの能力を有することは、アイデア発想、未知を切り拓くことなどに大変有益ではないでしょうか。

・・・なんてことを、早朝6:00前にアーネに起こされ、カードの切り抜きを手伝いながら思った次第です。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

2017/08/08

アーネの読み間違い・聞き間違いとスキーマ

アーネ(5才)が絵本を「読み聞かせ」から、自分一人で読めるようになり、全体の量が多く、一つのセンテンスが長い文章のお話も読むようになってから、気づいたことがあります。それは「読み間違い」が出てきたということです。どんな読み間違いかというと、
「ひ を      つけると へやがあかるくなるよ」を、
「ひとを やっつけると へやがあかるくなるよ」と読み間違えるような、見ている字や聞いている音が似ていて、本人がそれに似た字・音の言葉に読み違え・聞き間違えてしまうというものです。

「そのたのゴミ」は「そなたのゴミ」

2017/07/12

「すきま」 と 「スキーマ」 ~隙間が豊かな子ども。


先だって、『スキーマの手順・構造を変化させるところに、イノベーションやビジネスアイデアのヒントがある』という記事を書きました。

この話のテーマは、スキーマができあがることは、「一面効率的だが、思い込みや固定概念と背中合わせ」であるということです。
これは人間が大人になって社会生活を営む上で不可避なことですが、その一方でたくさんのモノゴトに対するスキーマがいくつも、強固にできあがっていく。
そうすると、連想や類推の働きがにぶくなります。飛躍した発想、柔軟な思考というのができなくなる。

思考というものを、
・別々のイメージを関係づけ、新しい関係を創り出すこと。
・あるイメージを別の新しいイメージに変換すること。
・新しいイメージを創り出すこと
と、とらえてみると、大人は効率化されたスキーマのせいで、思考に余裕がないといますが、余白がないうか、幅がないというか、取りつくシマ・引っかかりがないというか、隙間がなくなってしまっています。

これが子どもになると、様々なスキーマがまだ出来上がっていない、未熟なせい(おかげ)で、隙間が豊かです。

スキーマと隙間。

・・・ごめん、ただこれを言いたかっただけです。


★スキーマと子どもの成長・発達に関する記事はこちらをご覧下さい。

・スキーマの手順・構造を変化させるところに、イノベーションやビジネスアイデアのヒントがある。

2017/07/11

ワニワニ だから、パパはパニパニ

ワニワニという絵本があります。

アーネ(5才)もジージョ(1才)もよく読んでいます(いました)。

ある日、ジージョにワニワニの絵本を読んでいた所にアーネもやって来て、
なんでか忘れましたが。

「パパはパニパニだ」

と私が言うと、アーネが続けて、

「パパはタカホ(本名)だから、タニタニ?カニカニ?はは、カニみたい。ホニホニ?」

と言葉遊びをはじめ、

「ママはモモコだから、モニモ二?コニコニ?」

と言い、さらにそこから、

「コニコニは、ニコニコだから、二人とももっとニコニコしろー!」

と言われてしまいました。


子どもの言葉遊びとほのぼの聞いていたところから急転直下、
忙しさや親の都合などなどで眉間にシワを寄せている親へのきつい一言。

ちなみに、アーネが書いた母の日の手紙は、
去年は

「ママ、いつもありがとう」

だったのが、今年は、

「ママ、アーネのこと、みんなのことをしんじてね。」

でした。

子どもの言葉の連想、つながり、転換って、ドキッとします。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

2017/07/05

娘との3択クイズ遊びがイヤなんだが、“問題を選択式に置き換えら”れるようになるのは大事。

アーネ(5才)が4才ごろから「ダジャレ系なぞなぞ」を出して遊び始めてから、子どもの連想する力、類推する力を伸ばすべくトンチ系なぞなぞに発展したりして参りましたが、ここ数か月、困っていることがあります。

それは、アーネが「選択式(主に三択)クイズ」を出すようリクエストしてくることです。

選択式クイズは、答えの候補が出てしまっているので、私が連想が働くようにするヒントを出していく間もなく、アーネが答えを口にしてしまいます。
そして、正解でも不正解でも、、問題に対して答えた段階で終わってしまうことが多く、
「なんでそう考えたの?」と聞いても、正誤が出てしまっているので、アーネは答えたがりません。

この脳みそが動いていない感や、与えられた選択肢だけで正誤を問う感じがどうも嫌で、選択式クイズはやりたくないなぁと思っておりました。

「みる」と「やる」、「わかる」。

芝生に水をやるのと、芝生にはえた雑草とりが朝の日課です。
芝生にはえる雑草にはいくつか種類があって、写真のようなタイプは抜きやすい。


でも、モノによっては根が細いのに、芝生とひっからまって、うっかりすると芝まで抜いてしまう。
そんな状態のものを見ると、「これは根が深いなぁ」と思います。

この「根が深い、根深い」という言葉は、転じて「原因や根拠などが深いところにある」という意味で使われます。普段はこちらの意味で使うことの方が多いでしょう。

こちらの意味の「根が深い」は、抽象的になっている部分、それを使用する「根が深いレベル」は人それぞれで、
Bさんから見れば何てことのな話でも、Aさんからすれば根が深く感じたりします。

言い換えれば、「こういう状況でなければ、根が深いとは言(え)わない」という絶対的なルール・約束事がありません。

私たちはこうした抽象的な言葉を人との会話、書籍やテレビなどから摂取し、なんとなくわかって使っています。

でも、それはその言葉が持つ本来の意味合いを理解して使うのと、そうでない場合に使うのとでは、おいそれと使わなくなるというか、言葉の重みというものがちがってくる気がします。

今回、「根が深い」という状態を体験したことで、
「あぁ、こういう意味か。こんなに複雑なのだ。まっすぐただ深いわけではなく、他の植物の根と絡まったり、
石に引っかかったりするのだ」
とあらためて、わかりました。
見聞きしただけでわかっていたつもりになって使っていた言葉を、その語源を身体を通してわかりなおしたのです。

この写真のような状態が、本来の語源であるかどうかまではわかりませんが、
ここで話題にしたいのは、「わかる」ということはフィジカルなものも多く含んでいて、フィジカルな体験を通してわかったものの方が、理解の深さや記憶への重みが変わってくるのではないかということです。


すこし話は変わりますが、先日アーネ(5才)と磁石ボードに字を書いて遊んでおりましたら、ふいに私が手にしている磁石ボードの裏側に回り込んで、

「ワケがわかった!!」

と叫びました。
磁石ボードは先端に磁石のついたペンで、白いボードの下にある磁性の粒子をひきつけて絵を描く動画ですが、
表面は白一色なのに対して、背面はこのように黒一色です。
アーネはペンをなぞると表面が黒い字や線になることと、裏面が白い字や線になることが連動しているということに気づき、詳しいことまではわからないだろうけれども、「ワケがわかった!!」と叫んだのだと思います。

一方私はといえば、原理はなんとなくわかっているけれど、その構造を見ようと自らボードをひっくり返したり、
分解したりといったことはやったことがありませんでした。

芝生と磁石ボードのできごとは、中身は違えど「わかる」ということには身体性というものが重要なのではないかという示唆を与えてくれます。
スポーツでたとえるなら、「わかる」ということは、「見るスポーツ」というより、「やるスポーツ」なのではないか、と考えさせます。
もちろん、人間が直接体験をしなくても抽象的にわかることでここまで進歩・進化してきたわけですから、
一つ一つの事象や概念を身体的に理解するということはしなくて良いですし、そもそも時間がいくらあっても足りません。

でも、それを体験するチャンスが目の前にあるなら、特に子どもと一緒ならば、親子で身体的にわかりにいきたいものだと考える次第であります。

以上、親バカが最前線からお伝えました。

2017/06/29

スキーマの手順・構造を変化させるところに、イノベーションやビジネスアイデアのヒントがある。

ジージョがハイハイを始めようとした時期に、アーネがおかあさんといっしょのお姉さん役よろしく、

「いぃ?ジージョ、みててー。」

と言って、「ハイハイの仕方」を教えていたことがあります。

「ぺターンとうつぶせになるよ~」
「あしをおって~(足を畳むとお尻が上がる)」
「てをつきま~す」
「あ、すきなてでいいからね~」
「つぎにおなかをうかせるよ~」

とまぁ、こんな感じで、ジージョにやって見せ、話してハイハイの仕方を伝えていました。

私たちは普段、歩いていても、会社の机に座り立ち上がったりしていても、一つ一つの手順を意識しているということはありません。
ほとんど無意識にその手順をふんで、その行為を実行しています。
ハイハイに関してもそうなんでありましょうが、アーネはその手順を未熟ながら一つ一つバラしてジージョに伝えていたわけです。

ところ変わって、料理をつくる手順というのは、フライパンを振るとか菜箸でかき混ぜるといったことは無意識に行っていますが、◯◯を何グラム入れて、その後に◯◯分蒸すという情報については、なかなか無意識に行うという訳にはいきません。記憶することも難しいので、脳みその外に(意識的に)記録しておいたほうが良い、ということになります。

アーネが妻とテレビを見ていた時に、ラムネのレシピを紹介していたので、妻が記憶していた内容を、アーネが「わすれないように、かみにかいておく」と言って書いたのがこちらのメモです。


私たちが暮らし、仕事をしている中で、意識的に行うことと、無意識に行っていることがありますが、
かなりの程度、無意識に行っているのではないかと思います。

ここで「意識的」になりたいのは、無意識に行っているということは、その方法・手順を疑っていないということとも言えます。
すなわち、固定概念や思い込みができあがってしまっている。

このスキーマというもの。
一つ一つの工程や手順をつまびらかにして、有形無形のツール、技術、手段によって代替させたり、構造を変えたりするところに、ビジネスチャンスが埋まっているように思います。

アーネのお姉さん役とレシピからずいぶん飛躍してしまいましたが、以上親バカが最前線からお伝えしました。