2020/07/02

お手伝いの意義はどこにあるのか?

アーネが3年生になってから家の手伝いを一つすることになりました。
洗濯物を取り込む、たたむといったお手伝い候補がいくつかありましたが、アーネは風呂掃除と風呂をくむことをしています。

わが家の風呂は蓋が二つに分かれていて、風呂上がりに蓋をし、毎朝僕が選択をするときに蓋を開けて残り湯を使って洗濯をします。



二枚ある蓋のうち、1枚は蓋をかけておく場所に置くのですが、一晩蓋をしていたので水蒸気で蓋の内側に水滴が残ります。

「待つ」ということが、あなたにはできるか?



アーネにじぃじオンラインアカデミー用にchromebookを買いました。
それ以降、アーネはよく遊んでいるシルバニアファミリーのままごと遊び用に、折り紙で家具をつくる方法をYouTubeで検索しては、椅子や机やベッドをせっせと折っています。

ある日、アーネが折り紙をしているのを見て、ジージョが自分も折ると言ってアーネの隣に座りました。
アーネの真似をして折りますが、アーネのようには折れず、追いつくことができません。
アーネが折り方をやって見せ、「こうやって折るんだよ。先にいくね」と言って進もうとしますが、ジージョは見せられたようには折れず、「(折るのを)待ってよう!」と言います。

「好き」だと「うまくできる」のか?


アーネが3年生になって習字の授業が始まりました。
学校から帰ってきたアーネが、

「(習字を)うまいねと褒められた」

と言うので、「そんなに上手に書けたん?」と聞くと、

「画数が少ないと下手で、画数が多いのが好き」

なんだと答えました。

画数が多いから好きなのか?

多い画数で書くのが好きなのか?

確かめるのを忘れてしまいました。

仮に、

「画数が多いのが好き」で、

「画数が多いのが好きだからうまく書ける」

のだとすると、
真偽はともかく、好きじゃないものよりはうまく書けるのかもしれないと思いました。

その学年で学ぶ・書く漢字の根拠とは何なんだろう?と思いました。

2020/05/25

教室は間違うところだ


アーネが元教員の私の父とオンライン授業を行った日のことを記録しておく。
アーネはじぃじっこで、三重の実家に遊びに行くと、色々なところに遊びにつれていってもらい、父のパソコンでシールをプリントし、それを切って貼って遊ぶのが好きだ。父の膝の上に座ってテレビを見たり、背中に乗っかったりして、見ていてたいへんほほえましい。

オンライン授業でも楽しくやるだろうと思っていたが、授業が始まってから時折父が冗談を言って笑うほか、終始表情が硬かったように思えた。オンライン授業終了後、アーネに感想を聞いてみると、ちょっと恥ずかしそうな、複雑な表情をして、

「緊張した」とポツッと言ったあと、すぐに「だって先生みたいにじぃじとばぁばが話したことがなかったから」と続けた。

発問されて答えるとき、すこし自信がないと「‥‥?」と小声になるシーンが数回あった。

父がオンライン授業中に「ここは学校じゃないから」「楽しくやろう」とアーネに声をかけても、いくら普段は楽しくおしゃべりをする相手だとしても、“教える―教わる”モードになると、これまでの関係を持ち込めないというか、間違ってはいけないとか、正しいことを言わねばいけないといった気持ちになるのかと思った。

これは1対1の授業である。
これが30人のクライメイトがいる教室だったらどうなるんだろうか?

私が子どもだった頃どうだったかはもう覚えていない。

父の好きな「教室はまちがうところだ」という環境をつくるのは、容易ではないと感じた。

ただ、オンライン授業は設計次第で、「まちがうところ」として機能させられる気がした。
それについてはまた改めて考えてみたい。

2020/05/24

決定までのプロセスを、デジタルツールを使って共有すればいいのではないか?


5/12にアーネの通う小学校に行き、校長先生と家庭学習について話しました。
(※参考 「課題を出して放置プレイ」の小学校長に話を聞いた。

私が強く問題と思ったことの一つに、学校と家庭、教師と親のコミュニケーションの少なさ、関係の希薄さがあります。
私が校長に話を聞きに来るまで、学校には一軒も問い合わせや要望が寄せられなかったそうです。これが学校に期待していないことの現れなのか、学校や教員を慮って問い合わせをしなかったのか、学校に問い合わせていいということを知らなかったのかはわかりません。

いずれにしても共通するのはコミュニケーションの問題です。

学校にはホームページがある。定期的な学校からの通信(お便り)や学年からの通信もある。家庭訪問や参観会や運動会などもある。でも、こういう既存の施策が学校と家庭、教師と親のコミュニケーションに役立っていなかったことに愕然とします。
正直に言うと、私は学校に関心がありませんでした。より良い教育をしてくれればいいけれど、それについて強く要望するようなことはありませんでした。学校・学級通信を読むけれど、「ふ~ん、そうか」で終わり。ホームページも見たことない。今回、未曽有の事態によって、主に家庭学習の行い方について話しを聞きにいくまで、校長と話したこともなければ、アーネの担任と話したこともありませんでした。

しかし、今回校長と話をしたことで、今後の家庭学習や課題の出し方について、学校が意思決定するための材料となる情報を提供しなければいけないと強く感じました。子ども・生徒、学校・教員、親にとっての共通善のため、より良い意思決定ができるように、意見や情報を提供する必要がある。そのためには、まずもって「どのような子どもに育っていてほしいか?」という勝利条件を共有してかねばなりませんが、ここについては触れず、この記事ではコミュニケーション、関係をつくる手段について考えます。

「課題プリントを出して放置プレイ」の小学校長に話を聞いた

アーネが通う小学校から、新しい課題を子どもたち下駄箱に入れておいたので取りに来るようにとメールがくる。課題を取りにいくのは2回目。私が11:00前に取りにいくと、教員が一人立っていた。下駄箱のある入口に机があり、その上に「健康確認カード」が置かれていた。


「生活の中で困っていることがありましたら、学校、担任にお声がけください」

と書いてある。これを見てカチンとくる。
生活の中で困っているということがどんな内容なのかわからないが、少なくとも衣食住には困っていない。困っているのは、アーネの学習を支援すること、家庭学習である。
また、アーネの担任は、ゴールデンウイーク明けから産休に入ることが決まっていて、この日まで後任が決まったという連絡はない。だから担任に聞けない。というか、産休が決まっている人を担任にするという運用がイケてなくないか?

2020/05/13

日中、仕事をするのをやめようと思う

完全に在宅勤務になってから、今日でちょうど一ヶ月になりました。
アーネの休校に伴い、ジージョも含む娘二人との生活を続けてきましたが、仕事の内容と時間の使い方にたいへん悩んでいます。
出社していたころの私のスケジュールは、だいたい以下のようなものでした。