遅れてやって来たジージョの見立て「レッテルを貼らない」こと。

わが家には、アーネ(6才)とジージョ(2才)の二人の娘がいます。

ジージョは、アーネに比べると、絵本も積み木遊びも好まず、ぬいぐるみを使ったママゴトなどもあまりやりません。アナログな遊びに対して、興味がないというか、遅れのようなものを感じていました。一方、スマホに対する執着がすさまじく、アーネのECCのDVDを見たがって泣きわめくなど、まさにデジタルチルドレン(と言っていいのかどうかわかりませんが)といった感じです。

また、カキクケコがタチツテトになってしまって、私が朝出かけようとすると、

「パパ、どどいとぅの?」

「おしどと、いたないで」

といった感じで、赤ちゃんことばだなかなか抜てません。

サシスセソもシャシシュシェショ。

『うぐいす』の歌を歌うと、

「うえのこえだでうぐいしゅだー、はーるがちたよとうたいましゅー、ほ、ほ、ほちぇちょ。ほー、ほちぇちょー」

でしゅ。

アーネより早いものと言えば、人に手が出る(たたく、髪をひっぱる)ことで、アーネに比べればかまうことのできる時間は絶対的に少なく、わるいなぁと思いながら、これでええんやろかと時々不安になっております。

そんなジージョがこの3月に、方位磁針を見て「フライパン~、じゅ~っ」と言いました。


その翌月、デュプロをかちゃかちゃやっておりましたら、こんな形になって、


「シャンプーだよー、プシャプシャー」

と言って、黄色い部分を手でプシュプシュ押していました。


あぁ、ジージョにも見立てる力が芽生えてきたか・・・!


このブログをお読み頂いている方や、子ども×新規事業勉強会にご参加頂いた方にはおなじみ、アーネの見立てる力や、新概念を生みだす力に魅せられている私にとって、ジージョの見立ては驚きというよりも安堵に近い感情をもたらしました。

アーネも、

「ジージョも自分で工夫できるようになったねぇ」

などと言って、姉の余裕を漂わせておりました。

その夜、アーネに比べてどのくらい遅かったのかブログを見返してみました。
アーネの見立て力に驚いてブログを書いたのが、2014年の4月。

『イノベーティブな子どもの見立て力と固定概念のなさ』


ジージョのそれが3月だったので、時期的にはほぼ同じ。というか、ジージョのほうが一か月早い。

嗚呼。

ジージョの普段の行動や言動に目がくらみ、いつしかジージョに「アーネよりおそい」、「きょうぼう」といったレッテルを貼ってしまっていたのです。

アーネはこんなことをしなかったとか、アーネに比べるとほんとにまったく・・・などと見てしまっていて、使う時間もアーネファーストで、それを冗談交じりに、「いつかジージョが物心ついて、学校の作文などで、“父はいつも姉ばかりかまって、私のことはそっちのけでした”・・・なんて言われるんじゃないだろうか」と家族と話していたほどでした。

これが逆のパターンだったら、アーネのことをどう見たかわかりませんが、こうしたレッテルをわが子だけでなく、いっしょに働くメンバーやパートナーにも貼らぬよう、気をつけたいと思いました。

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