自分では影響を与えられない要素が多いほど、人はハゲる


「自分では影響を与えられない要素が多いほど、人はハゲる」。これがこのブログで私が書きたいことである。

昨春から夏にかけ、私は3つの「自分では影響を与えられない要素が多い」出来事を体験した。

5月から8月に、娘の通う小学校でのオンライン授業支援

6月から9月に、販売代理店とのトラブル

7月から8月に、東京五輪とコロナ感染拡大

まず、娘の通う小学校でのオンライン授業支援について。

21年5月に娘のクラスメイトの家族がコロナ陽性になり、クラスの子どもたち全員が2週間の休学となった。この休学中の学習の進め方が、20年2月末から5月にかけて全国一斉休校したときと同じ、プリントを渡して放置プレイだった。

このとき私は、人に教える訓練を受けていない親に子どもを教えることは難しく、休校が今後も続く、或いは断続的に行われる場合の対策を講じてほしいということを校長先生にお願いした。その時の顛末はこちら。

埼玉県の公立小学校に通う娘の、休校期間中の家庭学習の記録


それから一年という時間があったにも関わらず、同じことを繰り返していることに憤慨した。20年に校長先生と話したとき、「もしまた同じようなことが起きたら、またおじゃまします」と予言めいたことを言っていたのだが、それを頼りに21年も校長先生をたずねた。(校長先生は留任しており、「またあの保護者がきたか」という思いだったろう)

折しも全校児童に漬物石のように重いタブレットが配布されていた。これを使ってリモート授業ができないのか。自分は色々なプロジェクトを支援する仕事をしているが、もし校長先生が望でんくれるなら、この学校でリモート授業ができるようにするお手伝いをするということを伝えた。

意外にも校長先生は承諾してくれ、ある日突然2週間休学になっても、リモート授業で乗り切れるようにするためのプロジェクト支援を行うことになった。この話は長くなるので別の機会に書きたいのだが、このプロジェクトの何が「自分では影響を与えられない要素」が多かったかというと、

現場でいくら実践してみても、市の教育委員会の方針ひとつでその実践がムダになったということだ。

具体的には、学校で取り組んだのは、タブレットを児童が自宅に持ち帰り、教師が学校もしくは自宅から教えるという方法だった。すべてタブレットだけで完結するよう、デジタル教科書の使い方からTeamsの各種アプリ(ホワイトボードやフォームなど)を使う方法、国語、算数、理科、音楽などどんな教科でも教えられるような校内研修を何度も行ってきた。

しかし、8月に市の教育委員会の方針で、教室にビデオカメラを置いて、その前で教師が授業を行って配信するという方法が通達された。これの何がムダになったかというと、配信授業ではTeamsの各種アプリを用いる必要がなくなってしまったということだ。

習熟している先生であればこうしたアプリは配信授業方式でも使うだろうが、不慣れな先生方は多分配信授業だけで手いっぱいになり、それを思うと今まで時間を使ってもらったことが申し訳なかった。こういうことがあるかも知れないと思い、校長先生に教育委員会の意向を定期的に確認してもらっていたのだが、いつ聞いても教育委員会は未定・検討中で、方針をハッキリ示さなかった。

教育委員会のお達しとなると学校はそれに従うほかない。それまで進めていた研修は中止にし、配信授業のための準備を行うということを校長先生から知らされたタイミングで、このプロジェクトは終わった。


販売店代理店とのトラブルは、私が窓口ではあるものの自分では決められないことばかりで、詳しく書くことはできないが、これも堪えた。

東京五輪とコロナ感染拡大は、私にはどうすることもできない。予定していた実家への帰省ができなくなったのが残念だった。

コロナの有識者のTwitterリストを見て、起床してスマホをひらき、厳しい情勢・悲観的なツイートを見るたび、朝から重い気持ちになった。

そんなことが春から夏にかけて続き、8月上旬に全身に蕁麻疹が出た。このときは何かわるいものでも食べたかと思い、皮膚科に行って処方してもらった薬ですぐに収まった。

その翌週、庭仕事をしていた私に、ジージョが「パパ、かみないよ!」と言った。

「かみがない」ってなんやねんと思い、どこが?と聞いてジージョの言うところをさわってみると、後頭部と側頭部の境界線にテロンとした感触があった。私は触れたことがないがイルカの頭が脳裏に浮かんだ。

これが世に言う十円ハゲかと思ったが、十円どころではない。テニスボールくらいのハゲだ。

ドストエフスキーは、オムスク監獄で囚人として4年間過ごした経験からこのように言っている。

たとえば一つの桶から別の桶に水を移し、その桶からまた元の桶に映すとか、ひたすら砂を槌つちで叩くとか、一つの場所から別の場所に土の山を移して、また元に戻すといった作業をやらせてみれば、きっと囚人は何日かで世をはかなんで首を吊るか、それともそのような屈辱、恥、苦しみから逃れるためならいっそ死んでもいいと、自棄やけになって犯罪をし散らかすことだろう。

小学校のリモート授業プロジェクトはまさにこれで、販売代理店とのトラブルも部分的にこういう仕事になった。囚人は首を吊ったり犯罪をし散らかすのだろうが、私の場合はハゲたのだった。 

幸い私の十円ハゲは冬には産毛のような白髪が生え、間もなく一年になろうとする今では黒髪に戻っている。

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