オラリティとリテラシー。~子どもが世界を知る二つの経路

2016年の春頃からだったと思いますが、4歳になる娘の語彙習得がたいへん目覚ましくなりました。色々な理由はあれど、その内の一つに今も娘のマイブームになっている「なぞなぞ」があると思われます。

娘に出すなぞなぞは「パンはパンでも~」の同音異義型が多いのですが、問題と答えの単語に共通する音を当てることがとても楽しいらしいのです。

この様子を観察していると、幼児期の言葉の獲得がリテラシーよりオラリティが中心なんじゃないかと思うのです。


この楽しいという感情が、音当て型のなぞなぞという行為にタグづいて、より一層語彙習得を後押ししているんじゃないかと。

リテラシーは「文字を見る」こと。(そして、読み書きすること。)
オラリティは「声・音を聞く」こと。

子どもの国語能力なのか言語能力を高めるために、子どもに早く文字をおぼえさせ、文字を読めるようにさせ、書けるようにさせるましょう!と、ちまたの幼児教育は煽っているような気がいたしますが、特にリテラシーに偏っている気がします。

話しはすこし飛びますが、とある少数民族には文字がないということが、文字のある文化よりも下等であるというふうな価値観があると思いますが、文字の文化と声の文化、リテラシーとオラリティ、どっちが上等、というものでもないと思うのです。

プレゼンや演説、セミナーなどでの講演など、オラリティがモノをいうシーンはたくさんあるわけです。

今は「音楽」という科目で分断されていますが、歌をうたうのはオラリティ教育にはこの上なく良いものでありましょうし、しりとりやなぞなぞもオラリティの分野に入ると思います。落語なんかもオラリティの能力を高めたり、楽しませたりするものでしょう。

オラリティとリテラシーのバランスを取るというのか、行ったり来たりするというのか。

このあたりのバランスの取れたプログラムがあれば、幼児教育の新手法になるかも知れないと思いつつ、これは家庭の中で十分にできることだと思います。実際、娘と生活していると、「これぞオラリティ!」と感じるふるまいや言動に出会うことがあります。


子どものオラリティの世界の豊かさに瞠目することがしばしばです。そうした世界にときおり触れさせてくれる子どもには感謝感激雨嵐です。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

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