なぜ人は余計な目的を付け足してしまうのか?

最初は一つの目的があるだけだったのが、「どうせなら」「せっかくだから」とアレもコレも付け足して、どのも目的も十分に達せられなかったということは誰しも経験する。

私は仕事柄、企業が新しいプロジェクトを始めるとき、ある部署で始まった小さなプロジェクトが、「せっかく高いお金をツールやコンサルティングに払うのだから、あの部署もこの部署も巻き込んで、全社的にDXに取り組もう」と大きなプロジェクトになっていき、失敗する例を見ることがある。この記事の問いは、「なぜ人は余計な目的を付け足してしまうのか?」なのだが、どのような過程で、何が引き金となって、余計な目的が追加され、プロジェクトが失敗に終わってしまうのかを、私の私生活の実話を例に解説するものである。

目的は条件を伴う

最初の、最も大事な目的は、「父の日のプレゼントを買って送る」ことだった。この目的を叶え、何を買うか?どう買うか?を左右する条件は、「手紙をプレゼントの箱に入れること」である。私は両親の誕生日、父・母の日、結婚記念日のプレゼントに必ず手紙を同梱して送る。プレゼントの梱包をといたとき、手紙が入っていてほしいのだ。そうなると通販という選択肢は消える。実際にお店に赴き、そこで店員さんに手紙を一緒に梱包してもらうよう頼むのだ。私は外に出なければならない。

「外に出なければならない」とは大げさなと思われたかも知れないが、私は二年前から在宅勤務をしており、出社退社のついでに駅ビルやデパ地下などに寄るということができない。今年の父の日は6/19(日)で、実家のある三重県に送るには6/18(土)がデッドラインなのだが、土曜日は娘二人のワンオペ育児dayであり、コロナのことを考えると遠出はしたくない。外に出るのは平日に限られる。また私は埼玉県行田市という僻地に住んでおり、周辺にめぼしいお店はない。お店が多くある場所に行きたい。あれこれ見比べ「これだ」と思うものを見定めたい。こうした私が置かれている環境も条件となり、私の行動を規定・拘束する。 

平日に出かけるには大義名分があった方がいい。折しも6/14の11:00~12:00に、大手町のクライアントとのビデオMTGが入っていた。このクライアントとの関係はまだ浅く、これまでビデオMTGでしか話をしたことがなかったため、訪問するのも良いのではないかと考えた。ここに新しい「くっつけたほうがいい目的」が付け足される。この目的には以下の条件が伴う。11:00~12:00にビデオMTG。自宅からクライアントのオフィスまでドアツードアで約110分。移動手段は電車(JR高崎線)。できるだけ人が少ない時間帯に乗りたいので、出発するなら5:00台かビデオMTG終了後の時間(12:30~)になり、帰りの電車は16:30までには乗りたい。座席はグリーン車にしてそこで仕事をするのだ。

大手町・東京駅に行くという目的が加わった瞬間、別の目的がくっついてきた。私は通勤していた頃、新橋にある床屋で髪を切っていた。髪が伸びてきて、これから暑くなるし、「せっかく東京に行くのだから、ついでに」と思い、新橋の床屋に行くという「くっついてきた目的」が付け足された。床屋に行くという目的にも条件は付いてくる。開店は10:00。所要時間は60分。大手町のクライアントとの距離は電車で約10分である。

新橋の床屋に行くという目的が加わった瞬間、また新しい目的が加わる。 「せっかく新橋に行くのだから」うまい酒とメシでもと思ってしまった。新橋にうまい行きつけの店があるわけではなかったし、16:30には電車に乗りたいことを考えれば、営業時間は限られる。食べログで調べれば候補は絞られてくるだろう・・・と、スマホをいじり、この店はどうかなあの店はどうかなとしばらく時間を浪費してしまった。
ネットサーフィンに興じていたとき、ふと二人の娘の顔が浮かんだ。私は毎朝娘たちの朝食をつくっているのだが、小学校の登校班に間に合うよう、娘がすっきり起きて早く食べ終われないのが悩みの種だ。何ならスッキリ起きてムシャムシャ食べられるか聞いたメニューのひとつに、粒々が残っているピーナッツバターコッペパンがあるのを思い出した。娘たちのお気に入りはイオンモール羽生に入っているパン屋のものなのだが、東京ならもっとおいしいパンがあるだろう。ここにまた新しい目的が付け足されてしまったのである。

自らの行動で不確実性を縮減せよ

ここで目的の種類と数を確認しておこう。
最も大事な目的は、「父の日のプレゼントを買って送る」こと。くっつけた方がいい目的は「東京大手町のクライアントを訪問する」。そこにくっついてきたのが「新橋の床屋で髪を切る」。さらにくっついてきたのが「おいしい酒と魚を食べる」と「ピーナッツバターパンを買う」だ。
1つの目的で始まったはずが、30分にも満たないうちに5つに増えてしまった。それに伴って勘案しなければいけない条件も増えた。11:00のビデオMTG前に東京に行くなら、その前に大丸に寄ってそこでプレゼントを買うことができる。5:00台の電車に乗れば7:00前後には東京駅に着くので、そこで朝食を楽しむのも悪くない。仕事もしたいからワーキングスペースも探しておこうかな・・・ってまた調べないといけないことが増えてしまう。いったい何をやっているのだ。選択肢を消せ。余計な仕事をなくすための「未定事項」をつぶすのだ。それは何か?まずはクライアント訪問するか否かだ。私はクライアントに訪問できるがいかがかというメールを打つ。その返信が来るまでの合間にピーナッツバターパンが買える店を探す。粒々が残っているピーナッツバターパンを検索するが、なかなかヒットしない。一つよさそうな記事を見つけた。



ナッツ専門店がつくる1日15食限定のピーナッツバターパン!
これは気になるが広尾の店。これは所要時間と電車の込み具合をを考えるととても行けない。高崎線の湘南新宿ラインは上野東京ラインに比べ本数が少なく混み具合も高いからだ。そうこうしているうちにクライアントから返信がきた。今回のMTGは在宅で参加するものが多いため、ビデオMTGで行いたいとのこと。

クライアントを訪問するという目的が消えた。そうなると新橋の床屋に行く目的も消していい。自らの行動によって余計な目的を消し去り、不確実性を縮減することができた。上出来だ。あとは「プレゼントをどこで買うか?」という問題に集中すればいい。これぞ選択と集中。埼玉県民であればここは迷うことなく大宮一択だ。大宮にはそごうやルミネがあり、過去ここでプレゼントを買った実績もある。

目的地を大宮に決定したことで私は多くの時間を得た。自宅からの時間は50分。床屋の60分も持ち時間に加わる。これは「なくすことで多くを得る」というプロジェクトの兵法にも適う考えだ。
さらに、東京もしくは新橋駅から高崎線に乗るときは16:30には乗りたいが、大宮駅の場合はもう少し遅くなってもグリーン車は混まない。これならコッペパンを買う余裕もある。「大宮駅、ピーナッツバターパン」で検索すると、氷川神社近くにおあつらえの店がある。


じゅうたろう、この情報がとても貴重だった。ありがとう。
大宮駅からは徒歩10分。在宅勤務者の運動にちょうどいい。かくして私は11:00~12:00のクライアントとのビデオMTG終了後、父の日のプレゼントと娘たちのピーナッツバターパンを買いに家を出たのである。

完璧なレシピからセレンディピティは起こらない

大宮駅に着いた私は売り切れを危惧して先にピーナッツバターパンを買いに行くことにした。店内のショーケースを見るとちょうど2個残っている。なんという僥倖。1つ350円もしたがクラッシュされたピーナッツが残っているという娘たちの要望を満たしているので許容範囲だ。
店を出て大宮駅に戻ろうとすると、来た時には通らなかった氷川神社に続く参道に気づく。ケヤキを中心とした樹木が長く続いている。私は若いころ、東京杉並区阿佐ヶ谷に住んでおり、そこにあるケヤキ並木をたいへん気に入っていた。時間はたっぷりある。大宮駅への帰り道はこの参道を通って帰ろう。そう思って歩き出すと、参道はずいぶん先に続いている。どこまで続いているのだろうとスマホのGoogleMAPを見てみると、さいたま新都心までつながっている。ここで私に一つのアイデアが降りてきた。コクーンシティには多くの店がある。ここで父の日のプレゼントを買ってもいいのではないか。時間はあるのだ。運動不足の解消も兼ねてコクーンシティまで20分歩いてみよう。

生い茂る並木を楽しみコクーンシティに着いた私は早速父の日のプレゼントを買った。少し休憩も兼ねて仕事をすることにした私はコクーンシティ内のカフェを物色した。すると、台湾スイーツカフェがある。 15歳から6年間、私は中華人民共和国で過ごし、オヤツによく豆腐花や芋圓を食べた。なんとその店には豆腐花も芋圓もある。私は迷うことなくを豆腐花と芋圓を注文し仕事をした。予定にはないコクーンシティへの散歩という決定をしたが、その結果偶然にも自分の大好きな台湾スイーツに出逢うことができた。完璧なレシピからこんなセレンディピティは起こらない。
難しいクライアントからの要望もやさしい甘みが脳みそをリフレッシュしてくれる。想定していたより早く難しい仕事が片付いた私に魔が差した。今でもそのときの頭の動きがよく思い出せないのだが、浦和あたりにウイグル料理屋があるのを思い出し検索してしまったのだ。15歳から6年間、私は中華人民共和国で過ごし、そこで食べた羊肉串、ラグ麺、ポロなどのウイグル料理がたいへん好きである。検索結果に北浦和駅にあるウイグル料理屋が表示された。開店時間は17:00。40分ほどで食べ終わり、大宮駅に戻って電車に乗ってもそんなに込みはしないだろう。ここで当初の目的にはなかった「ウイグル料理屋で夕食を食べる」という目的を付け足してしまったのである。

「せっかく」「ついでに」という未練・執着を断ち切れ

すべてが順調である。ちょうどよいタイミングでウイグル料理屋に向かうバスに乗り、17:00の開店と同時にお店のドアを開ける。しかし、その日お店は調理機器のトラブルがあり急きょ営業中止になったのだと言う。
これは「なぜ人は余計な目的を付け足してしまうのか?」という問いを劇的に説明するために考えたオチではなく、紛れもない事実である。

私は落胆し、それ以上に自分の意思決定を心底後悔し、自分自身を罵った。再び駅に戻ろうと乗ったバスは帰路につくサラリーマンや学生で込み合っていた。少しでも自分を慰めようと大宮駅構内の立ち食いすしに寄った。ここの大名サバは旨いのだが、私が食べたかったのは独特の香り漂う孜然粉がたっぷりかかった羊肉串だったのだ。

一番大事な目的は果たした。娘たちのピーナッツバターパンを買うという目的も果たした。だが最後に余計な目的をくっつけてしまった結果、その目的を果たせなかったばかりか無駄な時間を過ごしてしまった。そのために費やした考える時間や調べる時間がすべて無駄になったのだ。

いったい何がいけなかったのか?この記事の冒頭にも書いたが、諸悪の根源は「せっかく」とか「ついでに」とか「どうせなら」といったスケベ根性・未練・執着である。それが目的を付け足すことを促す。あれもこれもと付け足すな。一意専心して、小さくさっさと終わらせる。新しい目的は、それが終わってから考えよ。これが今回得た教訓である。

なお、よく朝ピーナッツバターパンを食べた娘たちの一言目は、「イオンの方がおいしい」だった。

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