家にいるという病
在宅勤務生活が3年目に入りました。会社のある東京には年に数回しか行きません。
勤務時間は10:00から19:00で、通勤していたころは、8:30頃に電車に乗り、だいたい20:00頃に帰りの電車に乗ります。
二人の娘と平日夕食をともにすることはほとんどありません。在宅勤務生活では、毎日家族と話しながら夕食をとることができます。食後にいっしょに遊ぶこともできる。電車通勤のストレスもない。いいことだらけです。
でも、心身ともに健康で、余裕をもって、なんの気苦労もなく毎日を過ごしているかというとそうでもありません。家にいることで生まれる病があります。
家にいる病には、表面的な変化と、内面的な変化があります。
表面的なものは、時間の使い方の変化です。
もう日が陰ってきたから、このビデオMTGが終わったら洗濯物を畳まないといけない。ビデオMTGとビデオMTGの合間に洗濯物を畳んでおこう。今日は妻が遅番の日だから米も炊いておかないと。あ、しまった、夕飯用の肉を解凍するのを忘れていた。こっちのビデオMTGは顔を出さずに聞くだけでいいから、洗濯物はたためばいいか、などなど。
通勤生活よりもずっと時間に追われてあくせくしているような気がします。家事と仕事がいっしょくたになって後頭骨あたりがどんより重い。
内面的なものは、時間の意味の変化です。
同じ「21:30」という時間でも、退社して帰宅したときに起きていたら、「一日の終わりに顔が見られてよかった、うれしい」と思うのに、在宅生活では「まだ歯も磨いていないのか」とイライラしてしまう。
いままでは、娘たちが寝る時間になってもなにかに熱中していたら、「今すぐ急かさなくても、もう少しほうっておけば満足して自分で寝る」というおおらかな気持ちをもっていたはずが、在宅生活では雲散霧消してしまいました。娘たちからすれば勝手なものだと思うでしょう。
意味が変わっているということを自覚するところまではきました。
もうすこしこの病とつきあいながら治療、根治したいものです。