話し合うことは愛し合うこと

2022年の正月にアーネとジージョを連れて私の実家に帰省したときのことです。

朝、起きたばかりのアーネが「おはよう」よりまえに、

「じぃじとばぁば、よく話すよね」

と言いました。

私の両親は三重県内の同じ地域で長く小学校の教員を勤めました。食卓ではよく学校でのできごとを二人で話していましたが、退職したあとも学校のことや趣味の卓球のこと、地域のこと、日本語を教えている実習生のこと、教え子や教え子の子どものことなどをよく話しています。

アーネの両親、私と妻は仕事も趣味も違い、食卓で夫婦が話し合うということはあまりありません。日常生活でもそんなに会話はないと思います。そんな環境で日々過ごしているからか、アーネの言葉に「そのとおりだ」としみじみと感じたのです。

2022年の3月、卒園式を終えたジージョの記念に何をするか、妻と話す機会がありました。朝、アーネとジージョはまだ二階の寝室にいて、一階の洗面所で私と妻が話していたところへ、ジージョがひとり洗面所に入ってきました。そこでジージョは、

「パパとママ、いまはなしあってあいしあってたね」

と言ったのです。

愛し合うというのがジージョにとってどんな意味をもっているのかわかりませんが、ジージョには話し合うことが愛し合うことのようです。この言葉をきいたとき、二カ月前のアーネの言葉が思い出されました。

会話の量が愛し合うことに影響するのか、愛し合っていると話す量が増えるのか考えたこともありませんが。

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