そのときの文脈では、その言葉はその意味しか持たないだろうというのは自分の思い込みである
アーネとジージョがハリーポッターにはまっている。その日、図書館で借りてきたDVDは『炎のゴブレット』と『不死鳥の騎士団』の2枚。今でこそ私はタイトル名を書いているが、私自身はハリーポッターに詳しくなく、タイトルの名前までは覚えておらず、2枚のDVDを借りている、という程度の認識しかなかった。1枚目のDVDを見終わったら昼食にしようと言って、私は1階で家事・仕事をして、娘たちは2階で映画鑑賞を始めた。
正確な時間は覚えていないが、1~2時間は経っていたのではないかと思う。仕事の途中、2階に資料を取りにいった際、まだDVDを見ていたので、
「これつづき?」
と聞くと、アーネが「そうだよ」と答える。そうかと思って、また仕事を始め、ひと段落したところで昼食づくりに取り掛かり、そろそろ二人を呼ぼうと2階に上がると、まだ見終わっていない。
いくらなんでも長すぎると思い、ジージョに
「これ新しいDVD?」
と聞くと、そうだと答える(アーネは席をはずしていた)。
私は大学生の頃、銀河英雄伝説にはまって丸一日DVDを見続けるということをしており、一度はまると続けて見たくなる気持ちはわかっているつもりだ。しかし、いくらなんでも9歳と5歳児が連続4時間以上テレビを見続けるのがいいことと思えない。
私は自分の恥ずかしい過去の記憶もあいまってか、戻ってきたアーネに、「さっき(炎のゴブレットの)つづき?と聞いて、そうだよと答えたが、それは1枚目のつづきじゃなくて、2枚目のことだったのではないか。平気で嘘をついてはいけない!」と強い口調で言ってしまった。
するとアーネはスネイプのような無表情になって、
「わたしが言った“つづき”は、1枚目が終わって2枚目の意味で言ったんだよ」
といった意味のことを言った。
瞬間、私は自分が用いた言葉のあいまいさに気づいて、しまったと思った。
日頃、プロジェクト支援のなかであいまいな言葉を使うんじゃない。使う言葉を定義しなさいと言っている自分を恥じた。
家族だから通じるだろうとか、そのときの文脈では、その言葉はその意味しか持たないだろうというのは自分の思い込みである。仕事の方が気を付けるのかも知れないが、クライアントや外注ベンダーは言うに及ばず、部署の同僚、チームのメンバーといった関係の近しい人々であったとしても、あらためて言葉の意味と使い方に気を付けようと思った。