お手伝いの意義はどこにあるのか?

アーネが3年生になってから家の手伝いを一つすることになりました。
洗濯物を取り込む、たたむといったお手伝い候補がいくつかありましたが、アーネは風呂掃除と風呂をくむことをしています。

わが家の風呂は蓋が二つに分かれていて、風呂上がりに蓋をし、毎朝僕が選択をするときに蓋を開けて残り湯を使って洗濯をします。



二枚ある蓋のうち、1枚は蓋をかけておく場所に置くのですが、一晩蓋をしていたので水蒸気で蓋の内側に水滴が残ります。



そのため、もう1枚の蓋は場所に戻さず、別の場所に立てかけておきます。

アーネはこのような状態から風呂洗いをするのですが、あるとき私が一方の蓋をしたままにしておいたことがありました。
そうするとアーネが風呂掃除をしにいったとき、「ちゃんとふたを上げておいてね」と言いました。

私はこういう要求がアーネから出るのをワガママとか、自分がラクをしたいから言ったとはとらえず、むしろ家事をするということについて考えるいいキッカケになったと思いました。

自分がやる仕事の前にここまでしておいてほしいという要求が出せるのもいいことですし、同じ問題でも、自分がどう仕事すると、誰かの仕事にどう影響してくるのかということが考えられたらめっけものです。

このお手伝いがどこまで続くのかわかりませんが、お手伝いの意義と言うのは、案外こういうところにあるのかも知れないと思いました。



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