自分で問題をつくる

プ譜をつかったワークショップで、とくに新規事業プロジェクトをテーマにしていたり、新しくマネージャー・リーダー層になる方々を対象にするもので、特に強調していることのひとつに、「問題は自分で表現しなければならない」というものがあります。
ばっくりとした問題は与えられるけれど、それをどのように解くか。式としてどのように表現するかは自分の頭で考えなければならない。

ところが、正答を求める問題を与えられ、その問題に正しく答える術を教え込まれてきた人からすると、問題を自分で表現するということがピンとこなかったり、問題を自分で表現することが許されない行為のように思えてしまいます。

問題は自分でつくって良い。問題は自分でつくることができるのだということを、子どもの頃から体験しておいたほうがいいんじゃないか。そんなことを考える一方で、私にはこれとはまったく異なる悩みがありました。

小学二年になるアーネには、毎日小学校から算数と国語の宿題が出されます。
算数は、一週間ずっと同じ計算問題をやって、それをやったかどうかのチェックシートを学校に提出しなければなりません。国語は、ある一定の期間中、勉強している項目の音読をしなければなりません。
この宿題は最初の頃はともかく、算数であれば何回かすれば答えを暗記してしまいますし、国語であれば同じ内容を繰り返し読むことに飽きてしまいます。宿題をアーネがしたがらないと、ツマノフのご機嫌が麗しくなくなるので、アーネが自発的に宿題に取り組めるように工夫できないかと考えていました。

このアーネの宿題についての工夫が、冒頭の問題とくっついたのが、「今習っていることの問題をつくってパパに出す」です。

表現の拙さはご容赦いただくとして、概要は読んで字の如くです。
宿題の計算の答えを暗記してしまいそうになる頃や、音読が飽きてくる頃に、学校で習っていることを、アーネが先生役、私(パパ)が生徒役になり、先生が算数と国語の問題をつくるのです。
問題を一枚つくったら、一回の計算・音読をしたということにします。


問題をつくる。
自分が先生役になる。
生徒が書いた答案を採点する。

ただそれだけのことですが、アーネは張りきってこの“宿題”に取り組みました。

最初は、教科書や宿題にある問題を、見よう見まねで変えられる部分を変えて問題をつくります。
変えられる部分がどこなのかを認識するだけでも意味があります。

私がわざと間違えて、それに気づいてバツをつけ、「どこが間違ってるの?」と聞き、ちゃんと私に説明することができれば、わかっている証拠です。
見よう見まねでも問題はつくれますが、本当にわかっていなければ、他者の誤りの指摘とその修正はできないのではないかと思います。

この問題づくりは他にもとても有意義なことがありました。
下図はアーネがはじめてつくった算数の問題です。


121円の所持金があって、100円のゴムと23円のあめを買ったら、残りは何円になるか?
足りないのです。
マイナス(負)の計算は中学一年生で習うものですが、図らずも小学二年生で触れてしまいました。

問題文の正しさを測るものではないので、問題として間違っているということは言いません。
おもしろい問題をつくったと、いっしょにこの問題をアーネと考える、とてもいいキッカケになりました。
子どもの問題づくりには、こすいた予期せぬ面白さもあります。

この問題づくりは今も折に触れておこなっており、こうした経験がアーネにどのような影響をもたらすかは知る由もありませんが、ただ口をあけて問題を与えられるのを待つのではなく、問題は自分でつくることができるということの原体験になればいいと思います。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

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