なんで、「あとでやろう」はいけないの?
先日、ジージョ(3才6ヶ月)がパズルをしていて、うまくハマらないピースがあって、
「あとでやろう」
と口にしました。
「後でやる」という言葉は、「後回しにする」という言葉にも言い換えられると思いますが、後回しという言葉からは、問題を先送りする、今はやる気が出ないので後でやるといった、消極的・ネガティブな印象を受けます。
特に今の時期、夏休み期間中の子どもの「あとでやろう」にイライラしてしまうお父さん・お母さんは多いのではないでしょうか(笑)。
つい先日も、アーネとお出かけするにあたって、お出かけ前にピアノの練習をする・しないでイライラしてしまったことがありました。
このときのジージョの「あとでやろう」には、他のピースも残っていたので、「今はうまくいかないから、他のピースをやろう」というふうに聞こえました。
プロジェクトに従事する人間として、「後でやろう」の善し悪しは紙一重のように感じます。
選択肢が複数あって、他の選択肢の方がやりやすいなら、そちらに移行すればいいと場合もあれば、もう少し踏ん張って・様子を見た方がいいという場合もあります。
実際はやる・やらない以外にも、対象に対して同じ量を、同じ方向から、同じ速度・頻度で行い続けることで効果が出る場合もあれば、量を減らして方向を増やし、速度・頻度を上げ下げすることで効果が出る場合もあるし、今の状況では何をやっても効果が出ないので、いったんやめて、状況に変化が起こってから行うことで効果が出る場合もあります。
こうした意思決定を行う人間を評するにあたって、「後回し」は一つの手段・ルートに「固執しない」「柔軟」とポジティブに表現するこもできれば、「こらえ性がない」とネガティブにも表現できます。
そんなことを考えて調べていると、こんな論文を見つけました。
『自己制御能力が先延ばし行動に及ぼす影響の検討』
『先延ばしのパターンと気晴らし方略および先進的適応との関連の検討』
夏休み中に読んで勉強してみたいと思います。