なんで、迷子の子が保護されていたかいないかがわかるの?

アーネが4才。ジージョが0才のときに、アーネの手を引き、ジージョをエルゴの抱っこひもに入れて、観劇をしたことがあり、赤ちゃん連れのための部屋に私とジージョが入り、アーネが一般席に座って、観劇後アーネが迷子になったことがありました。

時は流れて三年後。
ジージョを自転車の子ども席に乗せ、アーネが一人で自転車をこいでいると、市内放送で、

「◯◯公園で迷子になっていた男の子が無事保護されました。ご協力ありがとうございました」

という放送が流れました。
それを聞いたアーネが、「どういうこと?」と聞いてきました。

「男の子が迷子になっちゃって、みんなで探して見つかった、ということやろ」と答えると、

「アーネのときとちがうね」

と、言いました。



なにが違うのかと聞くと、

「アーネは、アーネが(迷子になったと)大人に言ったじゃん。でも、放送の子は、男の子のパパかママかが、(子どもが)迷子になったって言ったんでしょ」

というようなこと言ったのです。

アーネが迷子になったときは、館内放送で「前田アーネちゃんのお父さん。アーネちゃんが事務室に来ています。お迎えに来てください」というような放送がありました。

先に子ども(アーネ)が保護されていたら、「ご協力ありがとうございました」という放送はあとから流れない。
親が迷子の届けを出したときにまだ保護されていなかったから、こういう放送が流れたのだ、ということを、アーネは私に“解説”しました。

こう書くと、ごくごく当たり前のことのように感じるのですが、じっくり考えてみると、放送の言葉一つを聞いて、彼我の状況をあれこれ比較して考えることができる、見ていないことを操作して考えることができるということに、オドロキを覚えるわけです。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

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