ねぇパパ。ジージョは「聞き間違い」するんだよ
ジージョが3才になって、たくさんの言葉を覚え始めるとともに、こんな反応を見せるようになりました。
「うんてい」
と聞くと、
「うんてん、みたいだね」
と言います。
「バースデイ」
と聞くと、
「ばすてい、みたいだね」
と言います。
アーネ(7才)はそれを聞いて、
「パパ、ジージョは聞き間違いするんだよ」
と言います。
この反応はとても興味深いものがあります。
自分も同じプロセスを経て言葉を獲得していったアーネですが、自分がどのようにして言葉を獲得しいったかを覚えてはいません。
言語情報には、聴覚の情報があり、視覚の情報があります。
そこに文法の知識によって音から線形での文の構造をつくり、一つ一つの意味をとり、記憶にあるものはもってきて、その状況と突き合わせて意味を取るという複雑な情報処理をしているそうです。
ジージョの「聞き間違い」はそれの現れで、このこと自体とても興味深いですが、今回はアーネが成長するにつれてアーネの頭の中で育った「間違い」の感覚を興味深く感じました。
「アーネ、それは聞き間違いとはちょっと違って、すごいことなんやぞ」
と言いますが、アーネは
「そうなの?アーネは間違ってると思うのに」
と応じます。
一発で正解に辿り着く(辿り着かねばならない)教育を受けているとこういう受け止め方になるのか。
足場をかけるというか、正解に辿り着くための必要な“不正解”というものがまだわからないと言えばいいのか。なんと表現していいのかわからないのですが、子どもが、意味ではなく音で言葉を獲得していくことの証左を目の当たりにしながら、「間違い・間違う」ということについて考えさせられました。
以上、親バカが最前線からお伝えしました。