パパは一年生のとき、どんなことを考えていたの?

アーネが小学校の入学式を控えていた数日前、三重の実家から、僕が毎日書いていた小学校六年間分の日記が届いた。



小学一年生になる四月一日から始まった日記は、合計12冊あり、よくこんなに書いたものだと自分で感心するが、両親がどうやってこれを続けさせたかの方に関心がある。

アーネは僕が一年生の頃の日記を見て、「パパ、字ヘタだね」などと言うが、アーネの字とどっこいどっこいだ。



日記には、小学校生活の、授業のことや友達と遊んだこと、感じたこと考えたことが書いてある。

アーネが通う小学校は、同じ保育園から入学した子どもが四人しかおらず、クラスがバラバラで、アーネの顔見知りの子どもはクラスに一人もいない。
アーネがこの先、クラスメートとどのようにしてコミュニケーションを取っていくのかわからないが、相手がどんな人で、どんなことを考えているのかわからない中で、自分の親兄弟が、自分と同じ年頃のときに、どんなことを考えていたかを知るのは、わるいもんじゃないと思った。

アーネといっしょに日記を読み返していて、僕がやっていた家の手伝いのことが書かれていた。
洗濯物を取り込むこと。風呂の掃除をすること。朝、ゴミを出すこと。学年が上がるにつれて、手伝いの種類は変わった。

「アーネもなにか家のお手伝いをしよう。何ならできそう?」

と聞くと、

「わからない」

と答え、その後すぐにこう言った。

「やってみないと、わからない」

アーネの言う通りだと思った。


その一か月後、妻が日記帳を買ってきて、アーネが日記を書き始めた。



僕の帰宅が21:00前後なので、帰宅した僕への手紙のようなものだ。
日記は学校でも書き始めたので、ほとんど更新されないが、学校の日記と合わせて、将来アーネが自分の子どもに見せられるよう、大切に保管しておこう。

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