小学校に行きたくなかったアーネとジージョの一年生を振り返る。

親なら誰しも、わが子がピカピカのランドセルを背負って、朝元気に「いってきまーす!」と言って家を出ていくことを望むでしょう。
自分がそういう子どもだったかどうか定かではありませんが、わが家にはこういう光景はほとんどおとずれることはありませんでした。

生活のリズムが大きく変わりました。

今までは、7時すぎまで寝ていてもよかったのが、6時半前には起きないと登校班に間に合わない。
(アーネの小学校は、集団登校です)

まだ寝ていたいであろうと思いつつ起こす。
そうすると、まだ眠くてフニフニ泣いてしまいます。

少しでも早く寝かせたいと思うものの、私は毎日21:00前後の帰宅で、イヤイヤ期のジージョをかかえた妻が子どもたちを寝かしつけられるのは、早くて21:30です。

なぜか小学校では「りかをやりたいなぁ!」と楽しみにしていたアーネでしたが、一年生では理科の授業はありません。
アーネが通っていた保育園から同じ小学校に通っているのが四人しかおらず、しかもクラスはばらばらなので、教室で一人さびしい思いをしているんじゃないかと思いきや、休み時間には保育園の友達と待ち合わせをして遊んでいるとのこと。
授業の内容がわからないということはないようでしたが、ほがらかに家を出るということがほとんどありませんでした。

とにかく朝気分よく、機嫌よく起きることができない。
「おはよう!」と寝室から一階の居間に降りてくるということがない。

どうにかテンションを上げさせられないかと、アーネと私の着替えのどちらが早いかを競争する「着替え競争」をしたり、疲れてくるであろう水曜日以降に、ヤクルトを一本朝食につけたりしました。
この瞬間は楽しく過ごしますが、いざ玄関のドアを開けようとすると、しゅ~んとそれまでの元気がなくなってしまう。とぼとぼ歩いていくアーネに、家の外の電柱まで出て「アーネ!」と呼び掛けて、ひょっこりはんのマネをして笑わせることもしましたが、たいしてウケず・・・。少しでも寝られるよう、着替えや翌日の教科書の準備を夜のうちにして、少しでも時間を稼ぐというようなこともしました。
時間がないなか、トイレで用を足すアーネの歯を私が磨き、妻がホットタオルで顔をふきクリームをぬる様を、ピットインと呼んで秒を争ったこともあります。

一か月が過ぎようとする頃、「学校に行きたくない」と言ったアーネを、妻が一日休ませてあげました。
ゴールデンウィークは楽しく過ごし、学校再開の前日、「給食が楽しみ」と言っていて、これはもう大丈夫かなと思いきや、翌朝泣いて、追い立てるように行かせてしまいました。

どうしても朝起きるのがつらかったり、ちゃっちゃか朝の準備をするのが苦手であれば、登校班に間に合わなくても、自転車で送ればいいと考えていたので何回か自転車で送りましたが、それも「行きたくない」モードで行っているため、アーネにとっては楽しい登校ではなかったと思います。

5月のある日、アーネが帰宅するなり、妻に小さな声で、

「あのね。がくどうのおとこのせんせいが、パパよりイケメンなんだよ」

と言ったそうです。あなたに言わないということは、気を使ってるのかもね、と妻が言っていましたが、イケメンな先生に会うことが楽しみになるなら、私以外の男に注目がいくのは大歓迎です。

6月中旬、風呂に入ったアーネが、ポツリと「今日、寝たくない」と言いました。
なんで?と聞くと、

「毎日おんなじなんだもん」

と答えました。


7月になっても状況は変わりません。
アーネは英語とピアノに週一で通っていますが、練習や宿題があります。加えて、小学校から出される音読と計算プリントもある。学童から帰ってきて、食事をして、これらの宿題や練習をして、翌朝気分よく起きられるよう早く寝かそうとすると、ついキリキリしてしまって、「なんでこんなにせわしないのだ」と、息がつまる思いになります。

ある朝、アーネが泣いた理由が、遅く起きてしまって「時間がない」からでした。
普段から急かしすぎてしまっているんじゃないか?と反省しました。
沈んだ顔をして家を出て行くアーネを見送ることほど、ツライことはありません。

夏休みに入り、二学期が始まる前日の夕食時、アーネが「学校がきらい」と言いました。

少しでも起きるのが楽しみになるよう、「ちょうしょくちゅうもんひょう」を始めました。
これは、アーネが朝食べたいものを画用紙やフセンに書いて、それを私が作るというものです。
作るといっても、おにぎりとかチャーハンとかうどんの類なので、私でもどうにか作ることができます。
これは少々効果があったように思います。



二学期が始まって二週目。
ジージョが熱を出して、保育園を休むことになりました。

「ちょうしょくちゅうもんひょう」効果か、泣いて起きることのなかったアーネが、この日は学校に行きたくなさそうにしています。登校班に向かう時間になっても家を出たがらないので、自転車で送っていくことにしました。

学校に着いて自転車からおろして「行っておいで」と言っても足が動かない。
目に涙をためはじめたアーネにどうしたのか聞くと、
「ジージョが熱の日は、アーネも休んでいいとママが言っていたから」と、泣くのをこらえながら言いました。

アーネとジージョが保育園に通っていたころはそれで良かったのですが、アーネは小学校にあがってもそのルールが適用されると思っていたようでした。

学校に行ってみて、どうしてもいたくないと思ったら、先生に言って帰っておいでとなだめて励まして、とぼとぼと校舎に向かうアーネの後姿を見るのが、もう本当につらい。
気になって学校に電話して、担任の先生と話したところ、アーネがかくかくしかじかの理由で遅くなったことを話し、国語の時間では発表もしたり、友達と話したりもしていたので安心くださいということでした。

9月の終わりごろ、「すきな友達ができた」そうで、その理由が「その子は友達が多いから」なんだとアーネが妻に話していたそうです。妻はそれを、アーネが友達ができないことを苦にしているんしゃないかと言っていましたが、本当のところはわかりません。

10月に入って、自分で起きてくるようになったアーネでしたが、起きてから登校まで何度もトイレに行きます。最初は腹の調子が悪いのかと思ったものの、これが何日も続く。早く起きなきゃという気持ちが、ストレスのようなものになってお腹に影響していないかと心配しました。

色々気になることはありながら、一学期のように泣いて起きるということが減り、忘れもしない休日の2019年12月1日。
お出かけをして駅から自宅に向かう自転車をこぎながら、アーネが、

「あ~、明日学校に行くの、楽しみだなぁ」

と言ったのです。

やっと・・・、やっとこの日がきたか、と。
二学期から毎朝朝食をつくってきた甲斐があった。
私は本当に、心底喜んだのです。

どうして楽しみなのか聞くと、「Yと会えるから」と、ある男性生徒の名前を言いました。

また男か・・・と内心ガッカリしつつも平静を装って、「そうかぁ、Yと会うのが楽しみなんやな」と言うと、

「Yのこと知らないのに、呼び捨てにしないで!」

とビシッとたしなめられてしまいました。


三学期に入り、泣いて起き、とぼとぼ学校に行くということはもうありません。
アーネの学校は来週27日が終業式です。
世のお母さん、お父さん。初めての小学校育児生活、本当にお疲れ様でした。

・・
・・・
・・・・ここから4年後。今度はジージョが一年生になりました。
アーネは5年生になり、かつてのように起きられずに泣くということはありません。一人で黙々と準備をし、登校班の集合場所には一番早く到着しています。
私たち夫婦は姉妹がそろって、あるいは姉が妹の手を引き「いってきまーす!」と言って元気に登校していく姿を夢見ていましたが、そんなシーンは登校2日目で終わりました。

ジージョもアーネと同様起きることができません。
アーネよりも起きられず、アーネに試した方法もほとんど効力を発揮せず、少しずつ登校班に間に合わない日が増え、冬には週に3~4回は私が学校に送っていくことが常態になりました。
アーネ時代に最も効果のあった「次の日、起きるのが楽しみになる朝食づくり」も、一日単位ではなく五日間単位で献立表をつくりましたが、このときは全敗。


私は藁にもすがる思いで、当時リリースされたばかりのChatgptに相談しました。


睡眠不足だろうなぁというのはわかってるのよ。
ちょっとでも早く寝かそうと思うけど、色々あってどうしても21:30を過ぎてしまうのよ。

質問を変えてみよう。


これもやってるのよ。
質問を変えてみよう。


これもやったのよ。
着替えを枕元に置いて目覚めたら自分の布団に入れて温めたり、起床時間に合わせて暖房をつけたり、布団にくるんだままリビングに降ろしたりしましたが、どれも効果はありませんでした。
質問を変えよう。


一周回ってしまった。
睡眠障害やストレスとまでいくとお医者さんに相談するしかないのか・・・

あれこれ悩み試しながら最も効果があったのは、アーネ時代に行った複数のことを同時に行うピットイン方式でした。
ジージョが着替えている間に私がごはんを口に入れる。
ジージョの髪を妻が編んでいる間に私が歯を磨く。
各駅停車式の作業とその時間を直列で行うのではなく並列で行うのが効果覿面で、3月はこの方式で乗り切ることができました。
また、ジージョが「どぅるどぅる卵ごはんならすぐに食べられる」と言うので、あまり噛まなくてもいいメニューにしたり、量を少し減らして出すと、早く家を出ることができました。

アーネ時代とは異なり、私は在宅勤務となり毎朝散歩をしているのですが、あるときから「登校班に間に合わなくてもいい。散歩ついでに送ればいいのだから」と執着を手放してからは、すこし心が軽くなったように思います。

それでもジージョが学校に行きたがらないときは、「ミッション」と称してマンホールとマンホールの間や、朝日をあびた家にできる影と影の間を走ったり、歩車道境界ブロックをスキップするとか、側溝の溝蓋を一つ飛ばしでジャンプして渡るとかというルールをつくって、ちょっとでも楽しんで登校できるようにしました。
ジージョと一緒に家を出て、「今日なんのミッションする?」と楽しそうに聞いてきたときは複雑な思いになりましたが・・・。

今は春休み。2年生の朝がどうなるかわかりませんが、少しばかりの休息を享受しています。
世のお母さん、お父さん。初めての、もしくは何度目かの小学校育児生活、本当にお疲れ様でした。

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