プログラミング的思考はprimitiveな形で日常に落ちている。
この夏、アーネが初めての夏休みを体験しました。夏休みといったら思い浮かぶのが宿題ですが、いくつかある宿題のなかに、「一行日記」というものがありました。
一行日記には、日付、天気、その日の出来事を一行で書くスペースがあります。この一行日記を、8月某日から五日間ほどアーネが書き忘れてしまっていました。仕方がないので、書き忘れた期間の一行日記を手伝うことにしたのですが、夏休みといっても、共働き家庭の子どもは学童に行くので、やることはたいてい決まっています。私も何かあれば日記に書いたり写真を撮ったりしているので、アーネはそれを見ながら五日間の出来事を書いていきました。
その一方で、天気までは覚えていないので、過去の天気予報をググります。
この時、ググるのは私で、書くのがアーネとという役割分担でした。まず私が一行日記を書かなかった始まりの日の天気を調べると「曇り」でしたので、「8月◯日は曇り」と口に出してアーネに伝え、「さぁ、次の日は・・・」と翌日の天気を口にしようとした瞬間、アーネは、
「くもりはなんにちまで?」
だったか、
「くもりはなんにちつづいたの?」
といったことを言ったのです。
この表現を私はとても興味深く感じました。
きょうび、プログラミングが必修科目になり、プログラミング思考を身につけよなどとかまびすしくありますが、アーネのこの言葉は、プログラミングにおける「ループ処理」というプログラミング概念のprimitiveな現れではないかと思います。
なんでそういう聞き方をしたのかアーネに聞いてみると、「めんどくさったから」と答えたのですが、プログラミングに、面倒な単純作業を機械が苦もなくこなすことができるようにする一面があるとすれば、これも一つの態度・考え方であると思いました。
アーネはプログラミング教室に通っておらず、いずれは触れさせたいと思うものの、日常の中にprimitiveなプログラミング的思考を育む機会は転がっているものだと思った次第です。
以上、親バカが最前線からお伝えしました。