モノとの豊かな関係を築き、論理思考のパラドックスを解決するかも知れないアートの力

私には7歳(小1)のアーネと3歳(年中)のジージョという二人娘がいます。
アーネが生まれたのが2012年で、年を追うごとにプログラミング教育をやりましょう。論理的思考・ロジカルシンキングを身につけましょうという言説や雰囲気が高まって、それに応じた教室や書籍がたくさん世に出ています。
私自身はたいして論理的にできていないものですから、そうした力は身につけさせたいと思いつつ、色々な新規事業のプロマネをしてきた経験からこうした風潮について疑問に思うことがあります。

論理的思考というものが使われるシーンをビジネスの現場に置き換えてみます。事前に論理的に収集・調査した情報をインプットして、論理的に分析していくと、論理的な思考及び判断能力を身につけた人々が出すアウトプットは、同じようなものになってしまわないかということです。
似たようなアウトプットが世に出るということは、世のビジネスマンが狙うブルーオーシャンとは真逆のことをやっているわけで、間違った論理に全力で取り組んでいるように見えます。
かといって、非論理的であれば良いかというと、そんなことはありませんので、非論理的ではなく、論理だけに頼らない感性・身体知のようなものを、子どもには身につけさせたいと考えています。
私がこうした考えを持つように至ったのは、二人のアーティストとデザイナーから得た体験が影響しています。

一人は、レッジョエミリアでアトリエスタとして活躍された伊藤史子さん。
もう一人は、クリエイティブディレクターの刈谷裕子さん。

伊藤さんとは2017年に知り合い、当時私が抱いていた、「子どもの primitiveな認知能力や表現力には、イノベーションにつながる力があるのではないか?」という考えを汲んで頂き、「子どもの視点から学ぶ、イノベーションに繋がる観察力、編集力、表現力」というワークショップを行ったことがあります。

このワークショップでは、「Thinking by hand」をテーマに、紙を題材にしたいくつかのリサーチ(探究)ワークを行いました。(※「リサーチ」というと、新商品企画のための調査活動を想い浮かべるかも知れませんが、レッジョ・エミリアにおいてリサーチは「探求」を意味する言葉になります)


  • 紙をプロジェクターに投影してみる(光と影)。
  • 紙を虫眼鏡や電子顕微鏡で拡大してみる。
  • 紙を水につけてみる、濡らしてみる。
  • 紙と人々の歴史について振り返ってみる(紙に書く)。
  • 紙が持つ多様なコトバを紡ぎ出してみる(紙に書く)。


こうした活動を通じて、私たちが「紙」というものに漠然と持っている、或いはわかった気になっている概念を、より豊かにする、「多様なモノの見方」、「モノとの豊かな関係を持つ」ことを体験しました。










この時、私を含め参加者の方の感想には、以下のようなものがありました。


  • 課題解決型にとらわれない、リサーチ型の意識を気にしいていきたい
  • 頭の固まった部分がほぐされた。何をするにも「事例」から入っているのを反省した
  • 多様な見方が生まれ、それを他者と共有することで、自分だけでは思い至らなかったことや、自分にもこんな考え方ができるんだという実感が感じられた
  • 手を動かすだけで沢山の発見がある。私たちが考えすぎ
  • アーティストが入ることによって、ノーマルな考え方から解放される


ざっくりまとめれば、「アートの視点が、ロジカルな考え方を崩し、より豊かなモノの見方(モノとの豊かな関係を築く力)を与えてくれる」ということになろうかと思います。

このモノとの豊かな関係を築く力というのは、表現を変えると、対象となるモノとの一般的(ふつう)な認知経路以外のリソースを使用するとも言えると思います。

これも伊藤さんのエピソードですが、2017年に開催されたアンチンボルド展に行った伊藤さんは、一緒に行った姪っ子さんと、鑑賞後、自宅でアンチンボルドピザをつくったのだと見せてくれました。
アンチンボルド展に行ったら、ふつうはその絵を描かせるように思います。それを、アンチンボルドの人物像は野菜で構成されているから、実物の野菜を使い、それを食べられるピザにした。日頃、それが当たり前とされるリソースではなく、異なるリソースを使うことで、対象となるモノゴトを豊かな関係をむすぶ一例だと私は感じました。

この「異なる認知リソースを使う」という点で、刈谷裕子さんから聞かされたエピソードも忘れられません。
幼少期、階段から壁から、食卓の上から裏まで、いたる所に絵を描いてしまう刈谷さんは、「ここなら存分に絵を描けるだろう」と、お母様に近所にできた美術教室につれて行ってもらったそうです。
その教室では、写生など一般的なお絵かきをするのかと思っていたら、おばあちゃん先生が絵本を読み聞かせてくれて、「今聞いたお話を絵に描いてみましょう」と言ったり、ピアノを弾いて、「今の音楽を絵にしてみましょう」といったことをしていたそうです。
何かを見て書くのではなく。聞いて書く。聴いて書く。これもまた一つの「異なる認知リソース」を使った例です。決まりきった一つのインプットではなく、異なるインプットを用いた方が、アウトプットの在り方が変わります。

伊藤さんや刈谷さんのような体験を、娘たちにも提供したいと思うのは私が親バカであること以上に、こうした体験やエピソードに、冒頭に述べた、行き過ぎた論理的思考のパラドックスを解決するヒントがあるように思えるからです。

そうした機会を提供してくれるのが、アーティストなのではないかと思い、私は僭越ながら伊藤さんに娘たちの家庭教師を依頼したことがありました。この依頼を受けて頂くことは叶いませんでしたが、その後、残念ながらその他のアーティストと接触・交流する機会がなく、今に至っています。

上述したような視点や気づきを与えてくれるアーティストと出会うことができ、子どもの興味や特性との相性がよければ、プログラミング教室に行かせるよりもそちらに子どもを行かせたいと考えるワケでありますが、ぜひそうしたアーティストの方々と出会える機会があればいいなぁと思います。

そこで出会ったアーティストが、何かwebサービスを通じて自分の作品や活動への購入や寄付を求めていれば、それを月謝替わりに、私はそれに相応しい対価をわたすことでしょう。
そんなわが子の可能性を紡ぎ、またアーティストが活躍する可能性を拓いていくようなサービスを見つけました。

アートをもっと身近にするために、そして芸術家が継続的な創作活動を続けていくための、アートファンと芸術家をつなぐ芸術家支援プラットフォーム、mecelo(メセロ)です。


今はまだ画家やイラストレーターの方が多いようですが、「書く・描く」ということも、何に描くのか、何で描くのかによって、豊かな関係や視点をもたらしてくれるのではないかと思います。
私個人はアートへの感度が低いのですが、上述した子どもの力につながるようなことがあるなら、絶賛支援していきたいと考える次第であります。

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