【往復書簡】「議論」と「対話」って、どんな風に使い分けてる?

長尾さん、ご返信ありがとうございます。
一昨日の昼に送って、その日の夜に返信が来るスピードに驚いています。
(往復書簡といっても、手紙が郵便で届くわけじゃないのですが、驚いているのは、そっちのスピードではなく、長尾さんの返事を書いて下さったスピードに、です)

【往復書簡】迷惑と邪魔の違い







長尾さんの返答を噛みしめて読み、大事だと感じたポイントを抜粋しました。
(ネットの文章を噛みしめて読むなんて、そんなにないことです)

  • チームの形成期によって、領分を守る・出るを使い分ける。
  • 迷惑はかけていいけと、邪魔はしちゃいけない。
  • 迷惑なこと、は社会的な規範によってかたちづくられるのではなく、2人の(あるいはその組織の)価値観や関係性によってかたちづくられる。
  • 迷惑をかけあうことで関係性が育まれる。
特に、「迷惑なこと、は社会的な規範によってかたちづくられるのではなく、2人の(あるいはその組織の)価値観や関係性によってかたちづくられる」にはグッときました。
そして、気を付けないといけないとも思いました。
組織の価値観や関係性でかたちづくられる規範は、その時、その時代に、その組織にいた人びとの価値観や関係性でつくられたものであって、時代や条件が変わり、組織の人びとが入れ替わることによって、その規範は変わる必要があるんじゃないかということです。
それを「これがうちの会社だから」と強要していくのは、良くないんじゃないかと思いました。これはこれで考えたいテーマですが、長くなっちゃうのでこのくらいにして(笑)。

質問いただいた、

「議論」と「対話」を、どんな風に使い分けているか?

ということについてです。

議論と対話の違いを、恥ずかしながら考えたことがなかったです。よく会話と対話は違うという話を見かけますが、議論と対話は何が違うんでしょう。
こういう時、ググッてしまえばすぐわかるんでしょうけど、そんなことを長尾さんに返しても意味がないので、議論と対話の違いについて考えたこともなかったけれど、自分のプロマネ人生や子どもたちとの暮らしを振り返りながら考えてみました。


長女のアーネ(6才)は、3才後半から色々なモノゴトについて「なんで?」と聞くようになりました。
その「なんで?」の答えを僕が知っているものもあれば、なんとなく知ったような気がしているだけで実はよくわかっていないものもあり、全然知らないものもあります。
どんな内容にせよ、この「なんで?」に応対する時に心がけていたのが、僕も120%そのものごとについてわかっている訳ではないので、自分もアーネといっしょにわからない人になる、ということでした。
「なんで?」と聞かれたら、そのモノゴトをアーネといっしょに観察し、形はどうだ、材質はどうだなどアーネに問いかけ、触り、動かし、感想や考えを交換していく。その過程を経ながら、答えをいっしょに探していくということをしていました。

僕が私淑している安斎勇樹先生から教えてもらったことに、「発問」「質問」「問い」の違いがあります。


  • 発問は、答えが問いかける側にあって、相手に答えさせるもの。
  • 質問は、答えが問いかける側にはなく、相手に答えてもらうもの。
  • 問いは、お互いに答えを持っていないもの。


僕がアーネとやっていたことは、「問い」状態にもっていくことだと思うのですが、この「問い」に「対話」が必要なんじゃないかと思います。

このように考えると、「議論」は互いが答えや意見を持っていて、それを交換する。あるいは戦わせて、どちらかを選択する。そんはイメージが浮かんできました。
互いに答えや意見を持っていると、「問い」にならないんだと思うのです。
(でも、仮に答えや意見をもっていたとしても、その答えや意見にしたって完ぺきではないかも知れず、それを「仮」のものとして脇に置いておくことで、対話をし、問うていくことはできるかも知れません)



対話は互いに答えを持っていない状態で、対話をかさねながら答えを探していく行為。
議論は互いに答えや意見を持っている状態で、それを交換・戦わせならがどちらかを選ぶ行為。

こんなふうに整理してみました。
この整理を元に話を「プロジェクト」に転じます。

プロジェクトを進めていくにあたって、対話と議論をどう使い分けるか?

プロジェクトにおいては、対話も議論もやってられない段階があります。
納品日まで残された時間がないのに炎上中。こんな時、火消しに駆り出されたプロマネは、問題点をいち早く見つけ、自分の権限を行使して、周囲に有無を言わせずやることやらないことを仕分けし、メンバーに作業をしてもらいます。

一方で、プロジェクトの初期段階では、特に未知な要素の多いプロジェクトでは、おおいに対話をすべきだと思います。
それは、自分たちの製品やサービスを、「なぜ行うのか?」という理念や勝利条件のすり合わせのために行ったり、「どのように行うか?」についても、担当者間でアイデアや考え方は異なるでしょうから、ちゃんとみんなが自分の考えや不安などを出し合って決めた方がいいです。
(むしろ、これをやっとかないと、プロジェクトが失敗しかけた・失敗した時、「たがらあの時オレはこう思ってた」とかいう他責な人や、戦犯探しが始まってしまいます)

と、ここまで書いて思ったんですが、どうにも僕の中で「議論」がワルモノのような、扱いにくいもののような気がしてきました。
意見を戦わせる、という表現をしたせいでしょうか。

と、書いてみて気づいたんですが、意見を戦わせることでともすればヒートアップしたり、うっかりすると、互いの意見ではなく人格とまで戦いそうになるば議論においては、「ファシリテーター」がいればうまく議論できるんじゃないでしょうか?

うん、そうだ!
これを今度の長尾さんへの問いにしたいと思います。

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