4歳娘が使い始めた、「できない」、「むずかしい」、「わすれた」、「まちがえた」

アーネが4歳前後になってからだったでしょうか。
なにかにトライしようとして、それができなかった時、それまでは、何でもかんでも「できない」と言っていたのが、

「まちがえた」、「わすれた」、「むずかしい」

という言葉を使い始めました。
(「むずかしい」はもう少し早くからだったと思います)

折り紙で鶴を折ろうとしていて、「あ、まちがえた!」と言い、ひらがかの書き方を、「わすれちゃった」などと言います。

「できない」、「まちがえた」、「わすれた」、「むずかしい」といった言葉をまとめて、『不可ワード』と呼んだりするのかどうかはわかりませんが、どうして、「できない」から言葉の種類が増えたのか?
なぜ、そうした言葉を使えるようになったのか?

そんなことを考えてみたくなりました。

まず、これらの言葉が、いつ、どのような状況で使われるのかを整理してみます。



「できない」、「むずかしい」は、初めてそれにトライしようとした途中やトライした結果、使う言葉です。
そこで、「鶴の折り方」や「ひらがの書き方」を曲がりなりにも一度“でき”て、“おぼえ”てから、二回目以降のトライをした時に、「まちがえた」り、「わすれた」りする。

これは、なんというか◯◯のし方、といった「方法」に、子どもが意識的になった、意識し出した表れなのではないかと思います。


次に、これらの言葉の対義語を並べてみます。



こうやって並べてみて気づいたのですが、アーネは「むずかしい」や「まちがえた」という言葉を発するようになったのと時を同じくして、その対義語も口にしていました。

「むずかしい」は「かんたん」。
「まちがえた」は、「せいこい」。
(※“せいかい”と“せいこう”が合体したアーネの言葉で、“合う、正しい”と同義です)

この反対の意味の言葉があつかえるということは、あるていど自分が「できている」「できていない」ということがわかっているということではないでしょうか。
そうするとこれは、メタ認知の芽生えなんじゃあないかと考えるワケです。


こうして、方法に意識的になっていき、メタ認知というものを芽生えさせているのだとしたら、間違っても「キーッ!」とならないよう、手を変え品を変えてやってみせることを伝えるのか、そうした試行錯誤に寄り添って、安易に手を出さぬよう自制するのかといったことを考えねばならないのですが、2016年8月の日経新聞に、『なぜなぜ分析自在に ホンダ、品質改善で600人研修』という記事がありました。

ここでは「なぜなぜ分析」を活用できるよう、特有の型や言葉遣いについて言及されておりましたが、
「XXがされていなかった」という事象に対し、「知らなかった」、「忘れた」、「できなかった」、「やりづらかった」という風に、「目的の遂行が不可」だった種類をこまかく分けています。
そうすることで、それぞれ違った対策が取れるそうなのですが、これは子どものつまづき対策にも同じことが言えると思います。



できない、ということを十把一絡げにしないで、なぜできないのかを観察して考える。
まずはこれを胸にアーネにお付き合いしていこうと考える次第であります。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

このブログの人気の投稿

子どもがよろこぶ「おはなし」の作り方

【著者解説動画有】『プ譜』とは何か?概要とテンプレートを紹介します。

高崎線の四人ボックス席で帰るプロジェクト 後編