パパはおとななんだから、おぼえてる=わかるでしょ?

先日、こちらの記事が話題になっておりましたが、記事の中に下記のような一節がありました。

↓こちら↓
ペーパーテストではその人が持っている知識や技能のレベルを測定することは可能だ。 だがこれはパソコンに例えるとその時点でどれくらいの情報がハードデスクに蓄積されているかを調べるようなものだ。 あるいは精々蓄積された情報がどの程度の速度で出力されるかを見る程度でOSの性能まで判断することは難しい。

この「どれくらいの情報がハードデスクに蓄積されているか」という表現が、 子どもにとっても(というより、子どもだから、かも知れませんが)非常にわかりやすく、評価しやすい対象になっていることを 4歳娘との会話の中で実感しました。

8月最後の日曜日に、4歳娘(アーネ)と対象が何だったか忘れてしまいましたが、 その対象となるモノゴトがわかる、わからないという話をしていた時に、娘がふと、

「パパはおとななんだから、おぼえてるでしょ?」 と言い、続けて、 

「アーネはこどもだから、おぼえていないことがおおいんだよ」 と言ったのです。 

話の文脈から解釈すると、娘にとって「わかる≒おぼえている」のようなのです。
大人は覚えていることが多くて、子どもは覚えていることが少ない。

ママは、あみこみのやり方をたくさん知っている。
パパは、ナゾナゾをいっぱい知っている。
じぃじは、トマトの上手なつくりかたを知っている。
ばぁばは、花の名前をいっぱい知っている。

これは知識量の点からすれば当たり前のことではありますが、 子どもにとっては「知っている≒覚えていることが多い」ことの価値が高く、すごいことのように感じられるようです。

そやけどな、と。

アーネが大きくなって、知識だけなら検索すれば済む時代では、

「おぼえていることが多い」ことよりも、

わからないことでも、

「なんでだろう?なんでそうなんだろう?」と思うこと。

そして、

「こうなんじゃないかなぁ?」と考えることの方が大事やで、と伝えたんですが、 わかったのかわかってないのか、どんな反応をしたのかは、忘れてしまいました。


以上、親バカが最前線からお伝えしました。

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