街のシズル
この一年、子供の写真の残し方や地域観光に関ってきた中で、どこかで見つけた「写真は文章よりも多くの情報量を持つ」という言葉にずっと違和感を持っていました。
今回、ある企画がキッカケでその違和感が解けたのでメモっておこうと思います。
キッカケは、とある住宅都市の自治体の観光促進企画。
その自治体は名所旧跡などがなく、街の魅力を発信する際はかれこれ20年近くB級雑学的、今和次郎の考現学的なアプローチをしてきました。
B級雑学的、考現学的アプローチは、「まだ発見していない魅力を発掘して楽しむ」「人が価値と認識していないものに楽しみ方を見出す」という点から考えれば間違っていないと思うのですが、価値を見出そうとする対象が普遍的ではないためマニアにしか受け入れられず、同じアプローチを20数年続けてきた結果、そのマニアも年を取ってしまい、新しいファンの獲得に至っていないことが課題でした。
で、今回の観光促進企画におけるポイントが以下の2点。
・市民参加型の企画にして多くの人々に来訪してもらいたい。
・外国人対応に力を入れたい。
市民参加型の場合、ネックとなるのがインセンティブや参加ハードル。
外国人を対象とする場合は言語の壁を解決しないといけません。
これらの問題を解決した企画案を考えている時期と前後して、別に考えていたことが3つありました。
・あいまいになるハレとケの境界
・旅に求めるものの変化
・KINFOLK的なものの流行
この3つのテーマについて考えたことが、住宅都市の観光促進企画を練っていく上での糸口となったので、以下それぞれ説明していきます。
■あいまいになるハレとケの境界
ハレは儀礼や祭、年中行事などの「非日常」。ケはふだんの生活である「日常」を表す言葉です。
Facebookのタイムラインを眺めていると、毎日が誰かのハレの日で埋まっています。
プロジェクトに進展があったり、新しいサービスを立ち上げていたり、イベントを行なったり、美味しいものを食べたり、話題のスポットを訪れたり、欲しかったものを買っていたり。
最近では、いわゆるハレの日的なビッグイベントやおめでたい事以外の、ささいな日常の一言や一シーンまでもが何だか素敵に見えてきます。
これは、ソーシャルメディアという常に自分の行動を投稿できて、それまで知る機会の少なかった他人の出来事を閲覧できる場所が土台にあるわけですが、InstagramやVSCOcamのような見栄えを素敵にしてくれるアプリが出てきたことも関係あるでしょう。
また、生活用具にも良いデザインの商品が増えたり、そうした道具を使った暮らしをイケてる写真や文章で表現する広告が増えてきた事で、生活者がケの日にも意味や意義を見出す(見出せる)ようになったことも大きな要因と考えます。
こうした要因が絡みあい、かつてのようなハレとケの境界はあいまいになってきているようです。
■旅に求めるものの変化
このケにも楽しみを見い出せるようになった感性というかセンスが、「旅」にも表れ始めていると思います。
これまでネット等でしか見かけなかったのですが、
「旅行に行ったらその土地のスーパーに行くのですよ」とか、
「本屋に行きます」という人と、直に巡り合うことが増えてきました。
スーパーに行って何をするのか聞くと、観光客向けに作られたお菓子やつまみではなく、その地元ならではの食材を探したいのだそうです。
本や雑誌などどこででも買えるではないかと思うのですが、それらのセレクションにその土地の本屋さんの魅力を感じるのだとか。
このあたりの感覚は、地元のパン屋やカフェを巡るような楽しみと同じようなものだと思うのですが、地元に密着した(その土地にいる人々にとって、密着もなにもないと思いますが)仕事の形、暮らし方といったものが今の旅人にとっては十分コンテンツになっているという事でしょう。
言い換えれば、旅先の土地がいわゆる「観光地」である必要がなくなってきたという事に他なりません。
■KINFOLK的なものの流行
このように、その土地での暮らし方が観光コンテンツになってきたという事は、ライフスタイルが商品になってきたという事と同義だと考えます。
今年に入って書店に並ぶ雑誌の表紙で、大胆に余白をとったデザインが増えてきたように感じますが、その発端であったろう『KINFOLK』という雑誌をご存知でしょうか?
「KINFOLK」は年4回発行。150ページ前後の分厚い誌面に、料理をすること、何かを作ること、何かをすることを楽しみながら、料理、家族、友達、休日の過ごし方などを美しい写真とエッセイで綴っています。
特徴的なのは、これまでのライフスタイル誌と異なり、日常の暮らし方を彩るテーブルセットや壁紙、そうしたアイテムの美しい見せ方や、料理の盛り付け方といったテクニックではない、もう少し根っこにある方の、どうやったら素敵に、大切な人と暮らせるのかという考え方を提唱しているように感じます。
(でも、それはなかな実現するのは難しい。或いはけして手が届かないもの。)
この雑誌が人気を集めていることを鑑みると、KINFOLKが提唱するライフスタイルを実現するための考え方や価値観といったものが、現代の生活者の埋もれていたニーズを引き出したのではないでしょうか。
・・・・・・
話を住宅都市における観光促進企画に戻します。
以上のようなことを考えていたことから、名所旧跡的な観光資源がない自治体であっても、そこにあるライフスタイルが観光資源として成り立つのではないか?
むしろ、生活感が観光地よりも色濃く出る住宅都市の方が、ライフスタイル押しの企画は成り立つのではないかと思ったのです。
ただ、このライフスタイルというものを言葉にするのは難しい。
例えば、お寺が多く古くは門前町として栄えたことから、古くからの商店が立ち並び、落ち着いた雰囲気の街での暮らしを、何と表現すればよいのか?
前述のとおり、今回の企画は「市民参加型」で「外国人も対象」とする事から、この言語表現のハードルを下げるために、“写真×ライフスタイル”という企画コンセプトを思いつきました。
■写真でしか表現できない“街のシズル”
今回の企画では、その自治体で暮らしている人や外からやってきた人が、その自治体で「あ、好きだな」とか、なんとなく「いいな」と感じた、人、仕事、街の情景、たたずまい等の暮らしの姿を写真に撮り、InstagramやTwitterを使いライフスタイルに関連する特定のハッシュタグをつけて投稿してもらい、投稿された写真がサイトに表示されハッシュタグで絞り込み検索ができるようなサイトをイメージしました。
そして、投稿されサイトに表示される写真を見た人々が「この街に来ればこのような人々に出会える、こんな時間を過ごすことができる」、と感じてもらい、来訪のキッカケになればいいな、と。
(ちなみに、投稿者のインセンティブは投稿された写真で作るフォトブックのプレゼントを考えました。)
そこで、この企画コンセプトについてInstagramersJapan代表で『阿佐ヶ谷住宅 THE ASAGAYA RESIDENCE』というInstagram写真集の著作もあるえんぞうさんに相談に乗ってもらった所、彼から出てきたのが、「シズル」というワードでした。
シズルは「油で揚げたり、熱した鉄板に水を落としたときに、じゅうじゅう音を立てるさま」を現す言葉です。広告や映像業界ではポスターやCMなどで見かける、キンキンに冷えたビールをコップに注いだ時に浮かぶ水滴の様子や、ハンバーグを真ん中から二つに割ると肉汁がこぼれ出してくる感じを表現する用語になっています。
えんぞうさんはこの企画で投稿されてくる写真が集まって、その街特有のシズル感が浮かび上がってくるのではないか、という事を話されたのですが、文章で表現するよりも写真で見せたほうが伝わりやすい「シズル」という言葉を選んだのがカメラの世界にいる人ならではで、今回の企画コンセプトを言い表すのにとてもしっくりきました。
そうしたタイミングでTwitterのタイムラインに流れていたのがユニクロのキャンペーンサイト『UNIQLO STYLE TODAY』です。
このサイトはKINFOLKの写真家パーカー・フィッツジェラルドが手がけるユニクロの西海岸ポートレイト・サイトで、gardening,bike,cafe,cooking等のライフスタイルキーワードから着ている服を見ることができるようになっています(その画像をクリックすると通販サイトにリンクします)。
掲載されている写真がまた素敵で、ここに登場している職業の人々が来ているユニクロの服を着ると、なんだかその人に近づけるような感じが一瞬してくるのです。
このサイトを閲覧し、上述の3つのテーマについて考えていたこと、えんぞうさんの「シズル」というキーワードが相まった事で、冒頭の「写真は文章よりも多くの情報量を持つ」という言葉への違和感が解けました。
個人的な解釈ですが、「写真は文章よりも多くの情報量を持つ」という言い方は事実ではありますが、こうした優位性を謳う言い方ではなく、「文章にするのが難しいものを写真で表現する」という言い方の方が適当なのではないかと思います。
文章はあえて使わず、その写真の持つ雰囲気だけの方が効果的いといいましょうか。
考現学、B級雑学的なアプローチの場合、「学」と名のつくだけあって、それがなぜ面白いのか、面白がる価値がどこにあるのかを明文化せねばなりません。
ですが、写真でその「シズル」を表現するだけでも、街の魅力を掘り起こすことになる気がします。
随分、迂回してしまいましたが、言いたかったことは以下の3点です。
*「街のシズル」ってものがあると思うんだ。
*それはその街に暮らす人々の日常生活=ケ=ライフスタイルに表れていると思うんだ。
*それは必ずしも文章で表現できなくても良くて、写真の方が適していると思うんだ。
■余談だが
文章で表現できないものは写真で表現すればいいと書いたが、その写真を文章にし表現したいという欲求も一方で必ずあるので、表現する技術、それをサポートするサービスは、ブログやTwitterといったテキストスタイルの表現サービスが今なお人気がある中、今まで以上に求められてくるのではないかと思った。
今回、ある企画がキッカケでその違和感が解けたのでメモっておこうと思います。
キッカケは、とある住宅都市の自治体の観光促進企画。
その自治体は名所旧跡などがなく、街の魅力を発信する際はかれこれ20年近くB級雑学的、今和次郎の考現学的なアプローチをしてきました。
B級雑学的、考現学的アプローチは、「まだ発見していない魅力を発掘して楽しむ」「人が価値と認識していないものに楽しみ方を見出す」という点から考えれば間違っていないと思うのですが、価値を見出そうとする対象が普遍的ではないためマニアにしか受け入れられず、同じアプローチを20数年続けてきた結果、そのマニアも年を取ってしまい、新しいファンの獲得に至っていないことが課題でした。
で、今回の観光促進企画におけるポイントが以下の2点。
・市民参加型の企画にして多くの人々に来訪してもらいたい。
・外国人対応に力を入れたい。
市民参加型の場合、ネックとなるのがインセンティブや参加ハードル。
外国人を対象とする場合は言語の壁を解決しないといけません。
これらの問題を解決した企画案を考えている時期と前後して、別に考えていたことが3つありました。
・あいまいになるハレとケの境界
・旅に求めるものの変化
・KINFOLK的なものの流行
この3つのテーマについて考えたことが、住宅都市の観光促進企画を練っていく上での糸口となったので、以下それぞれ説明していきます。
■あいまいになるハレとケの境界
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「ハレとケ」を見い出した柳田國男 |
ハレは儀礼や祭、年中行事などの「非日常」。ケはふだんの生活である「日常」を表す言葉です。
Facebookのタイムラインを眺めていると、毎日が誰かのハレの日で埋まっています。
プロジェクトに進展があったり、新しいサービスを立ち上げていたり、イベントを行なったり、美味しいものを食べたり、話題のスポットを訪れたり、欲しかったものを買っていたり。
最近では、いわゆるハレの日的なビッグイベントやおめでたい事以外の、ささいな日常の一言や一シーンまでもが何だか素敵に見えてきます。
これは、ソーシャルメディアという常に自分の行動を投稿できて、それまで知る機会の少なかった他人の出来事を閲覧できる場所が土台にあるわけですが、InstagramやVSCOcamのような見栄えを素敵にしてくれるアプリが出てきたことも関係あるでしょう。
また、生活用具にも良いデザインの商品が増えたり、そうした道具を使った暮らしをイケてる写真や文章で表現する広告が増えてきた事で、生活者がケの日にも意味や意義を見出す(見出せる)ようになったことも大きな要因と考えます。
こうした要因が絡みあい、かつてのようなハレとケの境界はあいまいになってきているようです。
■旅に求めるものの変化
このケにも楽しみを見い出せるようになった感性というかセンスが、「旅」にも表れ始めていると思います。
これまでネット等でしか見かけなかったのですが、
「旅行に行ったらその土地のスーパーに行くのですよ」とか、
「本屋に行きます」という人と、直に巡り合うことが増えてきました。
スーパーに行って何をするのか聞くと、観光客向けに作られたお菓子やつまみではなく、その地元ならではの食材を探したいのだそうです。
本や雑誌などどこででも買えるではないかと思うのですが、それらのセレクションにその土地の本屋さんの魅力を感じるのだとか。
このあたりの感覚は、地元のパン屋やカフェを巡るような楽しみと同じようなものだと思うのですが、地元に密着した(その土地にいる人々にとって、密着もなにもないと思いますが)仕事の形、暮らし方といったものが今の旅人にとっては十分コンテンツになっているという事でしょう。
言い換えれば、旅先の土地がいわゆる「観光地」である必要がなくなってきたという事に他なりません。
■KINFOLK的なものの流行
このように、その土地での暮らし方が観光コンテンツになってきたという事は、ライフスタイルが商品になってきたという事と同義だと考えます。
今年に入って書店に並ぶ雑誌の表紙で、大胆に余白をとったデザインが増えてきたように感じますが、その発端であったろう『KINFOLK』という雑誌をご存知でしょうか?
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出典kinfolkmag.com |
A guide for small gatherings"=小さな集まりのためのガイド。をコンセプトにアメリカのポートランドで創刊したライフスタイルマガジン。「KINFOLK」とは日本語で「親類」や「親戚」とういう意味で、その名の通り、家族や友人たちなどの身近な人たちとの時間を大切に過ごすためのアイデアやインスピレーションが詰まった本です。
「KINFOLK」は年4回発行。150ページ前後の分厚い誌面に、料理をすること、何かを作ること、何かをすることを楽しみながら、料理、家族、友達、休日の過ごし方などを美しい写真とエッセイで綴っています。
特徴的なのは、これまでのライフスタイル誌と異なり、日常の暮らし方を彩るテーブルセットや壁紙、そうしたアイテムの美しい見せ方や、料理の盛り付け方といったテクニックではない、もう少し根っこにある方の、どうやったら素敵に、大切な人と暮らせるのかという考え方を提唱しているように感じます。
(でも、それはなかな実現するのは難しい。或いはけして手が届かないもの。)
この雑誌が人気を集めていることを鑑みると、KINFOLKが提唱するライフスタイルを実現するための考え方や価値観といったものが、現代の生活者の埋もれていたニーズを引き出したのではないでしょうか。
・・・・・・
話を住宅都市における観光促進企画に戻します。
以上のようなことを考えていたことから、名所旧跡的な観光資源がない自治体であっても、そこにあるライフスタイルが観光資源として成り立つのではないか?
むしろ、生活感が観光地よりも色濃く出る住宅都市の方が、ライフスタイル押しの企画は成り立つのではないかと思ったのです。
ただ、このライフスタイルというものを言葉にするのは難しい。
例えば、お寺が多く古くは門前町として栄えたことから、古くからの商店が立ち並び、落ち着いた雰囲気の街での暮らしを、何と表現すればよいのか?
前述のとおり、今回の企画は「市民参加型」で「外国人も対象」とする事から、この言語表現のハードルを下げるために、“写真×ライフスタイル”という企画コンセプトを思いつきました。
■写真でしか表現できない“街のシズル”
今回の企画では、その自治体で暮らしている人や外からやってきた人が、その自治体で「あ、好きだな」とか、なんとなく「いいな」と感じた、人、仕事、街の情景、たたずまい等の暮らしの姿を写真に撮り、InstagramやTwitterを使いライフスタイルに関連する特定のハッシュタグをつけて投稿してもらい、投稿された写真がサイトに表示されハッシュタグで絞り込み検索ができるようなサイトをイメージしました。
そして、投稿されサイトに表示される写真を見た人々が「この街に来ればこのような人々に出会える、こんな時間を過ごすことができる」、と感じてもらい、来訪のキッカケになればいいな、と。
(ちなみに、投稿者のインセンティブは投稿された写真で作るフォトブックのプレゼントを考えました。)
そこで、この企画コンセプトについてInstagramersJapan代表で『阿佐ヶ谷住宅 THE ASAGAYA RESIDENCE』というInstagram写真集の著作もあるえんぞうさんに相談に乗ってもらった所、彼から出てきたのが、「シズル」というワードでした。
シズルは「油で揚げたり、熱した鉄板に水を落としたときに、じゅうじゅう音を立てるさま」を現す言葉です。広告や映像業界ではポスターやCMなどで見かける、キンキンに冷えたビールをコップに注いだ時に浮かぶ水滴の様子や、ハンバーグを真ん中から二つに割ると肉汁がこぼれ出してくる感じを表現する用語になっています。
えんぞうさんはこの企画で投稿されてくる写真が集まって、その街特有のシズル感が浮かび上がってくるのではないか、という事を話されたのですが、文章で表現するよりも写真で見せたほうが伝わりやすい「シズル」という言葉を選んだのがカメラの世界にいる人ならではで、今回の企画コンセプトを言い表すのにとてもしっくりきました。
そうしたタイミングでTwitterのタイムラインに流れていたのがユニクロのキャンペーンサイト『UNIQLO STYLE TODAY』です。
このサイトはKINFOLKの写真家パーカー・フィッツジェラルドが手がけるユニクロの西海岸ポートレイト・サイトで、gardening,bike,cafe,cooking等のライフスタイルキーワードから着ている服を見ることができるようになっています(その画像をクリックすると通販サイトにリンクします)。
掲載されている写真がまた素敵で、ここに登場している職業の人々が来ているユニクロの服を着ると、なんだかその人に近づけるような感じが一瞬してくるのです。
このサイトを閲覧し、上述の3つのテーマについて考えていたこと、えんぞうさんの「シズル」というキーワードが相まった事で、冒頭の「写真は文章よりも多くの情報量を持つ」という言葉への違和感が解けました。
個人的な解釈ですが、「写真は文章よりも多くの情報量を持つ」という言い方は事実ではありますが、こうした優位性を謳う言い方ではなく、「文章にするのが難しいものを写真で表現する」という言い方の方が適当なのではないかと思います。
文章はあえて使わず、その写真の持つ雰囲気だけの方が効果的いといいましょうか。
考現学、B級雑学的なアプローチの場合、「学」と名のつくだけあって、それがなぜ面白いのか、面白がる価値がどこにあるのかを明文化せねばなりません。
ですが、写真でその「シズル」を表現するだけでも、街の魅力を掘り起こすことになる気がします。
随分、迂回してしまいましたが、言いたかったことは以下の3点です。
*それはその街に暮らす人々の日常生活=ケ=ライフスタイルに表れていると思うんだ。
*それは必ずしも文章で表現できなくても良くて、写真の方が適していると思うんだ。
■余談だが
文章で表現できないものは写真で表現すればいいと書いたが、その写真を文章にし表現したいという欲求も一方で必ずあるので、表現する技術、それをサポートするサービスは、ブログやTwitterといったテキストスタイルの表現サービスが今なお人気がある中、今まで以上に求められてくるのではないかと思った。