絵本アプリを娘に与えていない理由を考えてみた。

娘が1才を迎えて、あちこち電車や車で出かけるようになってから、ちょっとグズったりじっとしているのに飽きたりした時に、iPodtouchに入れたガラガラアプリや絵本アプリが活躍するようになりました。
でも、どこかこうしたアプリを与えることに納得いかないというか、「それでいいのか?」という気がいつもします。
最近、絵本アプリ企画会社さんと打合せをした時も、そんなことを話したので、そのモヤモヤについてちょっと考えてみました。


■昔行なっていた“所作”がなくなってきてないか?


娘の入浴は私の役割。
で、この魚は私の父が送ってくれた「ファインディング ニモ」のお風呂用おもちゃ。


娘はこのニモが超お気に入り。
お風呂に入るやいなや鷲づかみにして「ニモを泳がせろ」と私に手渡します。

このおもちゃは腹の部分にゼンマイがついていて、
このゼンマイを巻くことで尾びれが左右に動いて泳ぐ、という仕組になっています。


最近、そんな娘が最近自分でゼンマイを巻こうとするようになってきました。
当然、まだ上手に巻けないのですけど、巻こうとするようになったわけです。

この様子を見て気づいたのは、ゼンマイを“巻く”ような所作が、
日常生活からなくなってきているな、という事です。


テレビのチャンネルはボタンになったでしょ。
電話のダイヤルもボタンになったでしょ。

ボタンは楽だし、ユニバーサルデザインを考えるとそうなるのでしょうけど、
なんか、モヤモヤっとします。


■人間の筋肉は普通20パーセントしか使われていない。

こうした所作を行なわないことに、どんな影響があるのか?
と問われると返答できないのですけど、
『北斗の拳』でも語られているとおり、

「人間の筋肉は普通20パーセントしか使われていない。
しかし、北斗神拳を使えば残りの80パーセントの力を引き出すことが出来る。」

のなら、
できるだけ、色々な所作を体験させた方が良いのではないかと思うのです。

(た、確かに、色んな指の型があるんだな。。。)

■身体性を伴うアプリなら作りたいぞ。


でもって、話を元に戻して、ガラガラアプリや絵本アプリを使うことのモヤモヤ感は、
リアルにガラガラや絵本を読むことによって得られる所作が、
アプリからは感じられないことにあるのだろうと思います。


まぁ、実際こうしたアプリに救われているので、良い悪いということではなく、
最近、とある絵本アプリ企画開発会社さんと、
「知育アプリ作ろうか~」とゆるーい打合せをしたこともあって、
私が知育アプリを作るのなら、上記のような所作(身体性と言ってもよいのかな)を伴うアプリを、
スマホ単体ではなくて、スマホに何かアタッチメントをくっつけて遊べるような、
そんなモノを作りたいなと思った次第です。




【追記】2013.9.24

『絵本アプリ、利用したいと考える保護者は3割に留まる】
http://resemom.jp/article/2013/07/22/14478.html

こんな調査がありました。

最近ではスマートフォンやタブレット端末で絵本を楽しめる絵本アプリがある。「今後このようなアプリを使用したいと思うか」を聞いたところ、利用意向率(「非常に利用したいと思う」と「やや利用したいと思う」の合計)は30.6%と3割だった。

が、なぜ3割に止まったのかを知りたかった所。


【追記】2014.2.24

で、身体性を伴うと言ったらやはりウェアラブルよね、と思っていたら、
考えているものに近いデバイスが出ていた。


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