「動機」は「目的」の前にあるのか、それとも後からやってくるのか

ジージョ(小4)が理科の授業で、「自分で自由に選んだ題材について調べた内容をパワーポイント(以下PPT)にまとめて発表する」という宿題に取り組んでいました。

PPTを作成する構成は、「動機」→「目的」→「予想」→「調べたこと」→「まとめ」という順で決まっているのですが、ジージョは「動機が変だと思う」と困っていたのです。

ジージョのつくったPPTを見てみると、動機、目的、予想は下記のとおりです。


動機は、「恐竜は、走るのが早いと思うし、「肉を引きちぎる力」も、「骨組みがしっかりしている」からだと思い、調べてみようと思いました」。

目的は、「恐竜の、骨組みは、どうなっているのか」と「骨の大きさは、種類とかに、関係あるのか」。

予想は、「骨組みは、がっしり骨が詰め込んであると思います!」と「恐竜の大きさで、骨の、大きさは、変わると思います!」。

こうして見ると動機のなかに目的と予想が紛れ込んでいて、ジージョの言うとおり確かに「変」です。他にも突っ込みたい所はいろいろあります。

ただ、ジージョが感じた「変」に対して、どのように対応していいのかすぐにわからず、困惑してしまいました。

そこで、足の速さ、嚙む力、体の大きさ、そして骨組みや骨との関係。そうしたものに対して、そもそも「何を見て、どんな体験をして興味を持ったのか?」について聞いてみることにしました。

ジージョによると、Eテレの『デイナの恐竜図鑑』を見て、「色んな種類の、色んな大きさの恐竜がいるんだなと思った」とのこと。

そして、恐竜が肉を食いちぎるシーンや早く走るシーンも見たのだそうです。

そこから、なぜ体の大きさや噛む力、足の速さが「骨組み」や「骨の大きさ」と関係がありそうと思ったのかを聞いてみましたが、「なんでだったけなぁ」とか「たぶんそうじゃないかと思ったから」と要領を得ません。

動機と目的についてジージョと話しているなかで、私はふつふつと憤りのような感情を抱き始めました。

それはジージョの考えのプロセスがわからないことや答えの要領を得ないことに対してではなく、動機と目的というものの関係についてです。

動機の意味は「人が意思を決めたり、行動を起こしたりする直接的な理由、原因、きっかけ」です。

この理由や原因やきっかけを、「〇〇したい」という目的にまで昇華させられるのは稀ではないでしょうか。

言い方を変えれば、人がなにがしかの行動を起こすに足る強烈な欲求やエネルギーのようなものを孕んだ動機を授かるのは稀なのではないでしょうか。

ポッと浮かんでは消える。ハッとしては忘れる。

日々の暮らしや仕事のなかでそんな小さくてはかない動機のなかから、検索したり紙に書いてみたり切ったり貼ったりする。

ちょっと調べて、書いてみて、切り貼りしてみて、「ほぅ」とか「あれ?」とか「ちょっと待てよ」といった感情が生まれ、そこから更に進むものもあれば、そこで終わるものもある。

そうして進んでいくもののなかから、「次がこれを調べてみよう」「あれを試してみよう」というものが生まれる。

これのどこからが動機で、どこからが目的なのかが、私にはよくわかりません。

「次はこれを調べてみよう」と感じるなかで「私はこれを明らかにしたい」とか「これを明らかにして〇〇をしたい」というものが生まれれば、それが目的となるのでしょうか。

ジージョが書いた「動機」「目的」「予想」が、ジージョの頭の中でどのようなプロセスを経て書かれたのかはわかりません。

しかし、動機に目的や予想が紛れ込んでいるのを見て、目的に昇華させるほどの強いエネルギーのない動機から、なんとなく恐竜の体の大きさや機能の仕組みなどについて色々検索しているうちに、目についたものをペタペタとPPTに貼って、それをなんとなく統合しているうちに、後から最初はハッキリしなかった動機を書いたのではないかと思うのです。
(ここは本人に確かめていないのでわかりません)

この文章をここまで書いてきて、私は「“動機と目的の関係”や“動機と目的の時間軸や順番”ということを明らかにしたかった」のではないかと考え始めています。

ジージョの宿題のPPTの構成は「1.動機」→「2.目的」となっています。

ここに違和感を覚えます。釈然としないものを感じます。


動機からすぐに目的が生まれるのか。

動機が最初から目的を孕んでいるのか。

動機から生まれた何かしらの行動から目的が生まれてくるのか。


色んなケースがあると思いますが、動機と目的が最初から揃っていることは稀だと考えます。

ジージョに聞けば、この宿題は3/11に出て3/17の授業で発表することになっていました。期間は6日間です。

ある日突然、理科に関係するなにがしかで調べて発表するという仕事を与えられ、自分の身の周りにあるなにがしかから調べたいと思えるもの、これなら発表できそうと思えるものを探す。

そこに目的を孕んだ動機などなかなか存在しないのではないでしょうか。

であれば、いくつかある動機になりそうなものから、その先に進めたいと思えるものを選び、それを実際に調べたり動かしたりしてみる。そして、そこから先に進めるものを選ぶという行為とそのための時間を取らないと、「動機」と「目的」を整理した調べ学習はできないように思います。

ジージョの場合でいえば、6日間という時間のなかで、上記のようなことをする余裕はありません。

先生が動機と目的を書く順番についてどのような指導をしていたかわかりませんが、この宿題は子どもにとって難易度が高かったのではないかと思いました。

最初に目的を書いたとしても、対象を動かしてから目的が変わることもあります。

「最初は〇〇を調べるつもりだったけど、やってみたら△△が不思議だったので、途中から目的を変えました」というのは、ごく自然なことです。

私は学校や先生に何をどうこうしてほしいという要望はありません。

うまくまとめられないのですが、今日はここで筆をおきます。

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