発注者のあいまいな要望を、受注者はどのようにヒアリング・解釈して成果物を出すのか?
2024年5月14日に小樽市総合博物館がXに投稿したエピソードが目に留まりました。
当館では資料を抱えて学校に出前授業をすることも多いのですが、先日非常に難易度の高いリクエストがありました。「小学校3年生から6年生まで全員で12名に、遺跡の話をしてほしい」という内容で、しかもこの学校は国指定史跡忍路環状列石のすぐそば、6年生は埋文センターの講義を受けています→ pic.twitter.com/alpYYA7xep
— 小樽市総合博物館(公式) (@OtaruMuseum) May 13, 2024
この先の記事を読む前に、一連の投稿のツリーをすべて見てほしいのですが、要旨は、学校から出された「小学校3年生から6年生まで全員で12名に、遺跡の話をしてほしい」という要望に対し、「地層について学ぶケーキを特注して授業を行った」というものです。
地層ケーキという素敵なアイデアの創造に目を奪われてしまいますが、プロジェクトに関わる方々が注目すべきポイントは、発注者と受注者間のコミュニケーションです。
投稿されていた文章を引用して、詳しい注目ポイントを見ていきましょう。
非常に難易度の高いリクエストがありました。「小学校3年生から6年生まで全員で12名に、遺跡の話をしてほしい」という内容で
理解度も予備知識もばらばらの子供たちを相手に2時間話をするという、かなり無理のある設定でした。
この2つの文章から、発注者の要望があいまいであるということと、「理解度も予備知識もばらばら」で「2時間話す」という厳しい条件(制約)があったことがわかります。
受注者である博物館担当の方も「非常に難易度の高い」「かなり無理のある」と書いておられますが、傍目から見てもハラハラする展開です。
この無理難題に対し、博物館担当者は以下の要素あるいは基準を設け、あいまいな要望から具体的な授業内容=成果物を考えていきます。
「子供たち全員が初めて聞く話」、そして全員が興味を切らさない仕掛けを考え、
この結果、
本来の依頼であった地域の遺跡の話をせず、考古学の基礎となる「型式学」と「層位」の話をしてみました。
ということが決まりました。そしてこの話をするための道具として地層ケーキを開発し、授業では児童たちが興味津々で取り組んでくれたと結ばれています。
一連の投稿から学校の要望がかなりあいまいであったことは見て取れますが、一つ気になる点があります。
https://x.com/OtaruMuseum/status/1790138168957714900
こちらの投稿にある
結果として「郷土学習」になったのかは疑問が残りましたが
という一文です。
→「調査指導」は考古学専攻の北大院生。すっかり乗り気になってくれて、表土剥ぎ、トレンチによる層位確認、イチゴ(土器の代わり)の分布状況検出、ダメ押しの深堀までやってくれました。
— 小樽市総合博物館(公式) (@OtaruMuseum) May 13, 2024
結果として「郷土学習」になったのかは疑問が残りましたが、子供たちは興味津々で取り組んでくれました。→ pic.twitter.com/cWKLOG1W8a
発注時に「郷土学習になるように」という要望はあったのでしょうか?
最初の投稿に、「この学校は国指定史跡忍路環状列石のすぐそばにある」という一文があります。これは、学校のそばに遺跡の話をするための格好の材料があるのに、それに特化した内容ではない授業にしてしまった、材料を活かしきれなかったという博物館担当者の気持ちの現れなのか、発注主の要望に応えきれなかったという気持ちの現れなのかが、これだけではうかがい知れません。
もし郷土学習になるようにという要望が出ていたなら、この授業及び地層ケーキはそれに応えられていない成果物となってしまいます。そのような要望が出ていなかったのならば、また、博物館として「地域の素材を活かした出前授業をするべし」といった指針がないのであれば、ここは問題にならないように思います。
もう一つ気になったのが、下記の投稿の「本来の依頼であった地域の遺跡の話をせず」という一文です。
→理解度も予備知識もばらばらの子供たちを相手に2時間話をするという、かなり無理のある設定でした。
— 小樽市総合博物館(公式) (@OtaruMuseum) May 13, 2024
そこで「子供たち全員が初めて聞く話」、そして全員が興味を切らさない仕掛けを考え、本来の依頼であった地域の遺跡の話をせず、考古学の基礎となる「型式学」と「層位」の話をしてみました。→ pic.twitter.com/LSTCQBFg4T
「本来」とはいったい何でしょうか?
あいまいな要望に本来というものがあるのか?
発注者が明確に思い描き、言葉にできていなかった「本来」の願いや期待があったのか?
「遺跡の話をしてほしい」という要望のなかに、「児童が遺跡発掘に関する基礎的な知識を、楽しみながら聞いて、少しでも興味を持ってくれれば十分」という願いがあったのであれば、これこそ本来のものと言えるのではないでしょうか?もしそうであるならば、博物館担当者の方は素晴らしい仕事をしたことになります。
発注者のあいまいな要望や不十分な情報、受注者の批判的な確認不足や勝手な解釈などから、期待した成果物ができなかったり、QCDを満たさなかったりということは日常茶飯事です。
私はこうした問題を予防するための問いかけ講座やそれを助ける「プ譜」という記述法を提供していますが、この地層ケーキのエピソードで知りたいのが、受発注者間でどのような対話がなされたのか?ということと、博物館担当者が形式学と層位の授業をするに至った思考の過程です。
- Xの投稿以上のやり取りはなかったのか?
- 博物館から学校にどのような質問をしたのか?
- 遺跡を学ぶ児童たちが「こうなってほしい」といった願いはあったのか?
これらの答えに、受発注者間のコミュニケーションの問題を解決するヒントが埋まっているように思います。