ハンデや我慢をせず、ルールを変えて遊びを楽しむ

 わが家にはアーネ(2011年生まれ)とジージョ(2015年生まれ)の2人の娘がいます。

4才年が離れていると一緒に遊んでもやるのが難しいゲームや役割が出てきます。

たとえば漢字で書かれている読み札を読むカルタ。

私、妻、アーネ、ジージョの4人で遊ぶとき、一人が読み手になります。ジージョが読み手になりたがりますが、ジージョはまだ漢字を読むことができません。そんなときは取り手の私か妻がが一緒に読みます。でもそうすると、私と妻と競争したいアーネはつまらなくなります。誰かが我慢をしなくちゃならない。

我慢やハンデというのは彼我の実力や経験、身体能力に差がある時に生まれるものですが、あまり楽しいものではありません。

あるとき読み手になりたいジージョが「ジージョは漢字を読めないからひらがなだけ読む」と言いました。
わが家で流行っているのは「ととカルタ」というもので、下の写真のような読み札です。


ジージョは、タチウオだと「●の● ぎんの●でたち●ぎ」。ホウボウだと「●なのに●がある おなかがすいたとホウボウ●く」と読みます。
読んでいくうちに答えが示される魚もあれば、「せいりゅうそだち」と聞けば「鮎かカジカか?」と特徴を示すキーワードから連想・推測して札を取ります。

最初は「まぁしょうがないか」と思って始めた「ひらがなだけ読むカルタ」に「推測」という要素、別種の難しさが加わって、つならないどころかいっぺんに楽しくなったのです。
一度聞いてわからないと「もう一回読んで」とリクエストし、とにかく札を読みたいジージョも満足します。

もう一つエピソードを紹介します。

わが家には国旗カードがあります。あるときジージョがおもちゃ箱から引っ張り出してきて、「ジージョがみせるからパパ当てて」と言いました。国旗カードは表に国旗のデザイン。裏に国名が書いてあります。40年以上生きてくればマイナーな国はともかく、だいたい答えられるものです。私からするとつまらない遊びです。

つまらそうにしている私を見たからか、ジージョが「もうみないであてて」と無茶ぶりをしてきました。「いやそんなん無理やん」と思った瞬間に閃いて、国旗は見せないで、国旗の特徴をジージョが口にして、それをヒントに私が推測して当てるというルールにしたのです。

そうするとこれがけっこう難しい。


右上のフランス国旗をどう読み上げるかというと、「あお、しろ、あかはな~んだ?」となります。国旗が見えない私にはフランス、ロシア、オランダあたりが浮かびます。「あれ?オランダは青じゃなくて水色だったけな?」と自分の記憶に自信がなくなる。かと思うと、「いやいやチェコもあるで・・・」と候補がまた生まれてくる。
一発で当てられないので、配色以外の特徴を教えてもらいます。国旗にはいろいろな要素があります。「ひだりから、あお、しろ・・・」と配色の順番や位置がきたら、すぐわかってしまうものもあれば、メキシコやアルゼンチンのように「色+象徴(アイコン)」というものがあります。「みずいろとしろとおひさま」と言われると、アルゼンチンが浮かびつつ、ウルグアイもそんなんじゃなかったか?と迷いが生まれます。

この遊び方は子どもが対象の特徴を様々な要素から言葉にして説明するいい機会にもなりそうですし、「知っている」側の大人が、おぼろげな記憶を頼りに、答えに辿り着くための「良い質問」をする訓練にもなりそうです。

我慢をする。ハンデをつけるということではなく、何かルールを変える。ルールの構造のある部分を変える・組み換えることで、遊びが楽しくなる。そんなことがあるものだと感じました。

余談ですが、そんな体験をしたころ、「ゆるスポーツ」を考案されている澤田智洋さんが『マイノリティデザイン』という書籍を出されていることを知りました。考え方としてはまさにこれだなぁと感じました。


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