AI議事録、その「モヤモヤ」の正体を、ヴィゴツキーの心理学から考える


 会議が終わると同時に、AIが完璧な議事録を仕上げてくれる。発言を漏れなく拾い、論点を整理し、ToDoまで切り出してくれる。便利なはずなのに、どことなく「これで本当にいいのか」という違和感というかモヤモヤが残る。

それをうまく言葉にできなかったのですが、ヴィゴツキーの心理学から得るものがあったので備忘録として書いておきます。


1. 「書く」ことは記録のためだけではない

レフ・ヴィゴツキー(1896-1934)は、20世紀のロシア(ソ連)の心理学者・発達心理学者です。人間の思考や学習は、他者との社会的なコミュニケーションや言語という道具を通じて発達するという「社会文化アプローチ」を提唱しました。

彼が1934年に出版した代表作『思考と言語』によると、ヴィゴツキーは「話し言葉」と「書き言葉」をまったく別の精神活動として区別しました。


会議での発言などの話し言葉は、その場にいる人たちと文脈や前提を共有しているため、多くを省略しても伝わります。「あれ、どうなった?」の一言で、何の話かが通じてしまう。これはコミュニケーションとしてはラクな分、思考としては荒く、断片的なままでも成立してしまう言葉です。


これに対して書き言葉は、その場にいなかった人にも伝わるように、主語を明示し、論理の飛躍を埋め、順序を組み直す必要があります。ヴィゴツキーはこれを、頭の中にある最もあいまいで断片的な「内なる思考」を、誰にでも伝わる精緻な構文へと変換する、非常に負荷の高い知的作業だと位置づけました。


議事録を「書く」という作業は、単なる文字起こしではありません。口語(話し言葉)の表現を意味を損なわないように文語(書き言葉)に直したり。会議中の混沌とした発言、例えば「なぜこのタイミングでこの話題になったんだろう?」と発言の意図を推察して、サマライズする際の順番を考えたり。耳で聞いた音をただ書き写すだけではない思考が働いています。


また、書いている最中にはこんなことが頭の中で起きていないでしょうか。ある発言を他の発言とつなぎ合わせて考えたり、会議中にはまだ持っていなかった自分の頭の中の素材が言葉として浮かんだり、そうした思考の最中にふと試してみたいアイデアや問題への対応案などが生まれたり。


AIに議事録作成を丸ごと委ねるというのは、この「混沌から論理を紡ぎ出す機会」や「新しい考えを創発する聞飽き」を、人間が自ら手放している状態だと言えます。書くことを免除されたぶん、考える機会も免除されてしまっている可能性がある、というのが最初の論点です。

2. 会議の本当の価値は、人の言葉を自分の言葉に置き換えることにある

ヴィゴツキーの発達理論には、もう一つ重要な考え方があります。彼は、人の思考はまず他者とのやりとり、つまり外に向けて発せられる言葉(外言)として始まり、それが少しずつ自分の内側に取り込まれて、頭の中だけで動く思考(内言)へと育っていくと考えました。
子どもが最初は声に出して考え、やがて声を出さずに考えられるようになっていく過程を観察した結果、彼はこの「外から内へ」という発達の方向性を見出したのです。


これを会議に当てはめると、会議の本当の価値は、発言という外言のやりとりを通じて、参加者それぞれが自分の内言、つまり自分の頭の中の理解を磨き上げていくことにあります。誰かの発言を聞いて、「それってこういうことか」と自分なりに言い換え、要約し、整理する。この「自分の言葉に落とし込む」作業こそが、会議から何かを学び取るということの中身でした。


AIが用意した綺麗な議事録は、この作業を肩代わりしてくれます。一見ありがたいことですが、人間が自分の手と頭を動かして他者の発言を自分の理解に変換するステップが、まるごと中抜きされてしまうという面もあります。きれいに整理された議事録をただ読んで「わかったつもり」になるのと、自分で苦労して要約し直すのとでは、頭の中に残るものの質がまったく違う、というのがヴィゴツキーの理論から導かれる二つ目の論点です。


これは、心理学で言う「望ましい困難」という考え方にも通じます。学習効果を高めるのは、楽に処理できる情報ではなく、多少の負荷をかけて自分で処理し直した情報だという研究は数多くあります。AI議事録が提供する快適さは、その「望ましい困難(desirable difficulties)」を奪ってしまう側面を持っているのです。

3. ただし、AIは思考を退化させるだけの道具ではない

ここまでだとAI議事録は警戒すべきものに聞こえますが、ヴィゴツキーの理論にはもう一つ重要な側面があります。彼は、人間は道具を使うことによって、自分自身の精神機能そのものを発達させてきた存在だとも考えました。文字、数字、地図、計算式——こうした「心理的な道具」を使うことで、人間は一人では届かない高さまで思考を拡張してきたのです。


この考え方をAIに当てはめると、AIが議事録という土台を素早く整えてくれることで、人間がその先の、より抽象度の高い思考——「この決定の前提は本当に正しいのか」「この議論で見落とされている論点は何か」「次にどんな問いを立てるべきか」——に時間とエネルギーを集中させられるなら、AIは思考を奪う道具ではなく、思考を押し上げる足場として機能していると言えます。


…とここまで書いておいてなんですが、私個人は上述したような“良い”使い方はそんなにできないんじゃないかと思っています。AI議事録はサマライズまでやってくるので、「見直さなくても大丈夫だろう」と思ってしまいます。

todoレベルのものならそれでいいと思うのです。事実、会議は全体に影響を与えない報告とtodoの確認だけで終わることも多いです。そこではおおいにAI議事録を使えばいい。

でも、ステークホルダーの見解にズレがあったり、複数の選択肢の優先順位を決められなかったりしているような状況では、議事録を「書く」という行為とセットで行われていた「考える」ことがどうしても必要です。

このような区別が自分の中でついているはずなのに、AIに議事録を任せると忙しさにかまけてて、考えるべきことを考えずに済ませてしまう。

読者のみなさんはどうかわからないのですが、私はそんな弱い自堕落な人間なのです。


そんなこんなで、todo確認レベルの会議ではAI議事録に任せ、そうではない会議ではAI議事録は使いはするものの生成されたファイルは開かないといったことを今はしています。


最後なかなか締まりません。個人的には「議事録をつくるように会議で発言せよ」がモットーなのですが、これはまた別の機会に書くとしましょう。


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