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言葉にすればごくごく当たり前のことを、なんで哲学を用いて説明するのか?

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『プロジェクトの地獄とは何か?~現象学に解決の糸口を探る。』 という記事を書きました。 「プロジェクトの地獄」とは、単なる客観的な炎上状態ではなく、本人や関係者の主観的な体験のあり方によって形成される、という内容なのですが、あらためて原稿を見ると、「結局は本人の気の持ちよう」や「関係者間の認識をちゃんと擦り合わせよう」という当たり前のことを、哲学を用いてくどくどと説明しているだけのように思えます。 当たり前のことを、このように哲学を用いて説明することの意義や価値はあるでしょうか…?

「ある行為のついでに別の行為をすることで、1回の行為で二度おいしい」ことの良し悪し

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わが家の風呂掃除はアーネ(中1)の担当。 この夏、「なんか最近、風呂掃除をするときに垢汚れがないんだよね」と言う。 これは在宅勤務している私が、朝食後や昼食後の散歩や体操で汗をかき、シャワーを浴びたついでに浴槽の掃除をしているから。 私が「掃除しておいたよ」と一言伝えればいいのだが、つい忘れている。 私は「ある行為のついでに別の行為をすることで、1回の行為で二度おいしい」ことをするのが好きだ。 今年初め、風呂の吸水ポンプが壊れ、洗濯機に風呂の残り水を汲めなくなった。 買い換えればいいのだけどそれもめんどくさい。 ちょうどその頃、在宅勤務の運動不足解消にスクワットをしようと思っていた。 わが家の洗濯機は風呂場のすぐ傍にある。 そこでスクワットをしながら手桶で風呂の水を汲み、それを洗濯機に入れるということをし始めた。 ただ風呂の水を汲むだけなら時間の無駄遣いになってしまうけれど、スクワットをするという健康上の理由(目的)を付与したなら許容される。 なんてことを自分に言い訳しながらやってるんだけど、会社の仕事でもそうした仕事のし方が良い時もあれば悪い時もあって、一概に一石二鳥作戦がいいとは言えない。

夫婦で夕食づくりを分業する~わが家のミールキット

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去年から私も妻も働き方がけっこう変わって、妻が夕食の下拵えをして、僕がそれを完成させるという分業を行うようになりました。 ある日の夕食は鮭のタルタルと揚げびたし。ふせんに本日のお品書きが書かれています。 揚げびたしは下の写真のように、妻が茄子とかぼちゃを切り、オクラを茹でておいてくれます。 さらには大根おろしの準備まで。 ここまでお膳立てしてくれれば後は焼くだけ、和えるだけでたいへんラクちんです。 この日はコープのアジフライ用にキャベツの千切りを用意してくれて、付け合わせに蓮根と青のりを油をからめてグリルすればいいだけなように。 この日は鮭のバター醬油焼きで、調味料を用意してくれていました。 在宅勤務のすき間をぬって、アーネやジージョが塾や習い事に行く前に食べさせることができるので、とても助かります。ありがたいです。

空間で新聞を読む

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新聞や雑誌で、気に入ったコラムや漫画を切り抜いて一つにまとめた経験のある人は少なからずいると思います。(・・・と書きながら、デジタル生活がもっと進めば、そもそも「雑誌の切り抜き」なんでことはなくなっていくだろうなぁと思いました) わが家では朝日小学生新聞を購読していてます。あるときジージョ(小3)が気に入った漫画を切り抜いていました。それと同じタイミングで、届いていた大きな段ボール箱を解体して小屋のようなものを組み立て、そこに切り抜いた漫画や記事を貼り付けていたのです。 切り抜いた記事は何種類かあり、漫画は「マンガコーナー」という所に貼り重ね、遊びに関することは「遊びコーナー」などと自分なりに記事をカテゴライズして、思い思いに貼っているようです。 どうしてこのようなことを思いついたのか尋ねると、「いちいち新聞を開いて読むのがめんどくさいから」ということでした。 切り抜きと言うと、スクラップブックにまとめることしか頭になかった私にとっては、平面ではなく立体というか、空間で記事を読むというアイデアが面白く感じられたのでした。

非技術畑のおっさんが技術書典に行った話

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技術はいかに記述できるか? プロジェクトの研修や講座を依頼されるようになってから一貫して持ち続けている「問い」があります。 それは、「技術はいかに記述できるか?」というものです。 研修も講座も時間が限られていて、そこでインプットできる量とアウトプットしてもらう量には限界があります。 参加者の皆さんの中には、その技術についての概念や知識を知ることができればそれでいい、という方もいらっしゃいますが、一方でのっぴきならない問題を抱えながら、実際にその技術を習得して、自分の仕事に活かしたい、仕事の問題解決に活かしたいという方もいます。 こうした(後者の)方々が研修や講座の時間外、つまり私が傍にいない状況で、技術習得の自学・独学を支援するにはどのようにすればいいのか? この問題意識が、「他者がその技術を習得できるようにするために、技術をいかに記述できるか?」という問い ——煎じ詰めれば、「技術はいかに記述できるか?」という問いにつながっているわけです。 2024年11月3日に開催された技術書典17は、上述の問いのヒントあるいは答えの例を探すことを目的に訪れたのでした。

よいプロジェクトとは何か?

「よいプロジェクト」の一義的な基準はない。 Quality(品質)、Cost(コスト)、Delivery(納期)を高い水準で満たしているのが「よいプロジェクト」と言えるかもしれないが、それはプロジェクトで成したいことそのものの基準ではない。 プ譜の世界観でいえば、「よいプロジェクト」かどうかは、勝利条件をどのように実現したか?で決まる。

コスパ最高の問題解決スキル「問い返し」を、図書館のレファレンスで疑似体験する

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自社製品を使用する顧客、あるいは導入を検討している見込客から、「御社の製品でこんなことできますか?」「こんな機能はありますか?」と、製品にはない機能について質問や要望がきたとき、みなさんはどう答えているでしょうか? まだない機能なので「できません」「ありません」と答えているでしょうか?それとも、もしみなさんが営業ならその機能を開発することで契約が取れる(カスタマーサクセスならその機能によって解約を防げる)ことを期待し、開発チームに機能開発を依頼されているでしょうか? 一問一答、即応することで失うもの 相手からの質問や要望に対しそのまま回答・対応する、ということは、どんな仕事であってもよくあることです。 このような対応に大きな問題があるというわけではありません。ただ、相手の質問や要望に対し、一問一答したり即応したりすることで、相手が望んでいた機能とはズレたものをつくってしまったり、相手が望んでいたとおりにつくったハズなのに、まったく使われなかったとか成果をもたらさなかったということがあります。 せっかく労力と時間をつぎこんで開発した機能が望んだ結果につながらないのは非常にもったいないことであり、リソースの無駄遣いと言われても仕方ありません。