予期していなかった書籍出版が、予定通り進まなかった話

2018年3月に、後藤洋平さんとの共著、『予定通り進まないプロジェクトの進め方』を刊行しました。

そう。

刊行したのですが、こういう本を出したいと思ったことは一度もなく、宣伝会議さんから出版のオファーを2017年11月に頂き、翌12月に正式決定してから、年末年始休暇を返上しての執筆を経てのスピード出版。

しかしその裏というか内実というか、出版にいたるまでにはいくつもの偶然と、細い糸を数年来つむいできた歴史があります。
今日はそうして出会った人々に感謝しながら、本ブログを読んでくださる奇特な皆様にも、そのエピソードを紹介したいと思います。


すべての始まりは、2012年5月15日のツイートだった。

当時、『コドモノガタリ』という夫婦の育児情報共有サービス(兼育児グッズのログサービス)を経営していた僕は、今は土佐の国で仮装通貨のリーディングブロガーとなったイケダハヤト氏の取材を受け、同氏のツイートでサービス紹介をしてもらっていた。



その成果やいかにと、エゴサーチしていたら、こんなツイートを見つけた。



これが、本書の共著者となる後藤さんとの出会いだった。

これまでで最も思い入れのあるサービスを「感動」とまで言ってくれている。
嬉しくてこの人のプロフィールを見に行くと、アルタミラという面白そうなサービスを運営している。
しかもこのツイートは、5:17。
会うしかないと思った。

それからわずか数日後。
僕たちは人目を忍ぶかのように、メンションからダイレクトメッセージに切り替え、会う約束をした。
場所は今はなきATTだ。

お互いに生まれたばかりの娘がいて、新規事業のプロマネという立場。
妻の新しい働き方を手伝いたいという状況まで同じで驚いた。
(僕はそれを実現できなかったが、後藤さんは見事に成し遂げ、それは今も続ている)

とはいえ、それ以上の関係に発展することはなかった。
仕事のやり取りが起こるでもなく、半年に一度くらいの頻度でランチをするという関係が続いた。

コドモノガタリは起業一年もたずサービスを停止し、会社も清算。
その後、とあるネット広告のオラクル的存在な方にスケダチ頂き、一社を経て、2014年に現在の会社に転職した。

それまでの数年間、僕はゼロからサービスを開発したり、プロジェクトを興したりすることが多かったが、この会社では既にスタートしたサービスに関わることになった。お世辞にもうまく進んでいたと思えないそのサービスを、そのサービスが使われる業界知識もなくキャリアもない、曇りなきまなこで見てみると、自分でも驚くほどなぜうまく進んでいないかという、ツジツマの合ってなさがよく見えた。この時つくったプロジェクトの進行状況や諸施策の関係性を表したマップが、書籍のアイデアの一つとなる「プ譜」の原型になった。

このサービスは当初、テレアポ代行サービスを使って見込客開拓をしていた。
まだほとんど実績のないサービスだったが、ある商社が直々に会ってくれることになった。
高田馬場にあるその会社では、「剛腕」という表現ピッタリな取締役のIさんが話を聞いてくれたが、これが後の宣伝会議脈につながる出会いになるとは思いもしななかった。

こちらの会社と合同で動画制作ワークショップを何度か行い、宣伝会議でもワークショップを行わせてもらえることになった。その会場に居合わせていたベイビーフェイスが、本書の書籍化を企画してくれたTさんだった。

その約半年後の2015年、宣伝会議で始まるweb動画クリエイター養成講座開講時に、Tさんから講師オファーを受ける。
講座は今も続いているが、Tさんはメキメキと頭角をあらわし、講座以外のビジネスも手掛けるようになった。
ただ、この時もプロジェクトに関する書籍を出すとは、お互いに思いもしていなかった。

この頃、僕は半年に一度ほど会う後藤さんとの会話や関連書籍を読むなかで、「なぜプロジェクトはうまく進まないのか?」ということについて、その理由と対処方法の私見をまとめた資料をつくっていた。
プロジェクトマネジメントというけれど、自分が関わったプロジェクトはどれもマネージしきれたものはなかった。
それは僕の力量不足といってよいが、事前につくった事業計画書、予想した見込がはずれ、想定外のことが度々起こるプロジェクトというものを、管理・マネージすることが本当にできるんだろうか?という問題意識があった。
この時、ヒントを得るつもりで体験したのが、イシス編集学校のオンライン講座だった。

講座での体験は、プロジェクトは編集できるのではないかという示唆を与えてくれた。
それと同等に大きなヒントを与えてくれたのが、この講座の担当コーチ(師範代と呼ぶ)であった村井宏志さんに紹介されたパースの「アブダクション」だった。
プロジェクトを進めていくうえで遭遇する種々の事象から、筋のいい手を打とうとする上で、とても参考になる。
(・・・と言いつつ、僕自身まだまだアブダクションについての理解は深まっていないが)

実は、イシス編集学校では、プロジェクトに関する収穫よりも、長女が見せる情報の受け止め方や表現の理由や仮説についての収穫の方が多かった。

なんで、「えほん」と「しんぶん」という一見くっつきようのないものを組み合わせて、「えほんしんぶん」という概念を生み出せるのか。
のどにからまった痰を出すことを、「うそせき」という単語一つで表現できるのはなぜなのか。
そんな疑問に村井さんはイシス編集学校のエッセンスを交えて応じてくれた。
この経験が僕の興味を認知科学に向かわせ、そしてそれがプロジェクトを進めていくヒントを与えくれた。
つまり、編集学校に通うことでプロジェクトについてのヒントを得たのではなく、娘への興味関心についてのヒントを村井さん(編集学校)が与えてくれ、その結果知った認知科学や動物生態学などからプロジェクトへのヒントを得るという、直接的ではないルート(遠回り、或いはなにか別のモノを介した)だった。

2016年の夏。娘の認知的な特徴について感心をもっていた頃、ドコモ・イノベーションビレッジで、子どもの文字の習得方法などについての勉強会があることを、Peatixか何かで知った。
当時、娘の文字の書き方に興味を覚えていた僕は、喜び勇んで勉強会に参加したが、そこで聞かされたのは平仮名など文字学習アプリを開発したおじさんの、ただ延々と続くアプリの営業トークだった。
ガッカリしたと同時に、憤った。
勉強会という名のもとセールスとはどういうことかと、担当者の方に「あれはないですよ」と言ってしまった。
自分も子どもに関するビジネスをしてきたので、こういう勉強会ならできると思いますがどうでしょう?という提案をしたところ、快諾してくれたのがドコモ社のSさんだった。
以後、ドコモ・イノベーションビレッジで1~2月に1回ペースで、勉強会を開催させてもらうことになった。

2016年冬。
久しぶりに会う後藤さんとの四谷での酒席に、居合わせたのが当時ソフトバンクビジネス+ITの編集者だった時田さんだった。
後藤さんは長年同サイトで記事を執筆しており、ヤフトピにも取り上げられる記事を書く文筆家でもあった。
時田さんは後藤さんの担当編集者であり、この時僕は書き溜めていたプロジェクトを編集するというコンセプトのパワポを見せた。
興味を持ってくれた時田さんが、後日このファイルをもとに、『失敗しないプロジェクトマネージャーは「管理」より「編集」スキルを持っている』という記事にしてくれ、一時はスマートニュースにも掲載されるという僥倖を得た。


ちなみに、時田さんはこの数か月後に転職され、同サイトの編集長に引継ぎが行われたが、「前田さんの文章は日本語がおかしい、構成がおかしい」とけちょんけちょんに評価され、断筆宣言をした。

2017年に入り、この時の記事の成果を祝うオペラシティの側にある新疆料理屋で、プロジェクトに関する勉強会をイノベーションビレッジで開催することを後藤さんに提案した。
これが本書につながる決定的な、プロジェクト工学勉強会発足の時だった。
勉強会は2017年4月に第1回を開催し、同年7月までに3回行った頃、宣伝会議のTさんに「こういう勉強会をやってるんですよ」という話をした。
Tさんはそれを面白がってくれたが、その頃は特に何が起こるでもなかった。

そうして迎えた2017年11月。
宣伝会議からプロジェクト工学の書籍化オファーがあった。
しかしまだ完全決定ではなく、ポシャる可能性があったため、後藤さんには内緒にしておいた。
翌12月、第4回の勉強会が開催される数日前に、書籍化が決定した。

書籍化が決まったことを喜び勇んで後藤さんにFacebookのメッセンジャーで知らせた。
でも、後藤さんからは僕が創造したような大喜びの反応はなかった。

それが、僕たちの書籍出版プロジェクトが炎上する兆しだったとは、まだお互いに知る由もなかった・・・。

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この続きは、『予定通り進まないプロジェクトの進め方』の終章でご覧頂けます。
ぜひお手に取ってご覧下さい。


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