「見る字」と「書く字」は違うということ ~ひらがなを早く覚えさせるのは無意味

先日、リストを埋めていくと喜ぶという子どもの習性について書きました。


この「やることリスト」のハートと「こうえん」の文字は娘がの手によるものですが、子どもが字を書くということについて考えさせられることがあったのでメモしておきたいと思います。

この「こうえん」、「こ」と「う」は正しく書けていますが、「え」と「ん」については、見事な山脈というかはたまた乱高下する株価チャートのようになっています。







娘はこの字をお手本用の五十音表を見ながら書いていました。

一方、この頃と同じ時期、娘がひらがなをなぞって書いたことがありました。

この時はこちらの意図していない書き順で書いたことについて興味が向いていましたが、本稿で取り上げたいのは、ここで行った文字の書き方は「なぞる」だったということです。




ひらがなの習得において、正しい文字の形や書き順を身につけるという意味では、「なぞる」方が望ましいと思われます。
ただ、それと子どもが文字に興味を持ち、文字に親しむということとは別のことのように思います。

文字に親しむということであれば、正しい書き順を文字をなぞって覚える(もちろん、このなぞる行為が楽しいと感じる子どももいます)だけでなく、文字を絵や風景のように見て、観察して“描く”ということもあって良いのではないでしょうか。

そうした時、娘の描いたロッキー山脈のような「え」も、株価チャートのような「ん」も、「え」と「ん」のらしさをよくとらえていると解釈できます。
それは事物を観察して特徴をとらえるという一つの能力の現れと考えられます。

特徴をとらえる、という視点で考えると、文字を書き始めた子どもがよく書くと言われる「鏡文字」もその表れではないでしょうか。

きれいな鏡文字だったり、ちょっとおしかったりして見る度に微笑ましくなります。

「見る字」と「書く字」は違う。

となると、見る字と書く字では、子どもが使っている力が違う。

と考えれば、そこにおける基準は「正しい」ではないのだと思うのです。


子どもに早くひらがなを覚えさせたい、書かせたい。

という気持ちは、私もふくめ多くの親が願うことでありましょうが、


*娘がブロックを説明書通りに組み立てることができたことから、本稿と似たような話を書きました。
よろしければ、こちらもご覧下さい。

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