【新種名募集中】 デラカットかマスウェアか、はたまた?

アーネ(6才)が最近食後のフルーツの盛り付けに凝っています。
この日はマスカットとデラウェアでした。

これだけ、ってことではないです
皮がついたままの状態で、マスカットは一粒まるまるのものもあれば、半分に切ったものもあります。盛り付けが終わって、テーブルについて食べていた時、アーネがおもむろに台所に行ってなにか作業をし始めました。
テーブルに戻ってきたアーネが、皮をむいたマスカットを二つつまんで「いいものあげよっか」と言うので、口に入れてもらうと、ふつうのマスカットと食感が違います。

なにこれ?と残っていたもう一つのマスカットを見せてもらうと、こういうことでした。


マスカットを半分に切って、くぼみをつくり、そこに皮をむいたデラウェアを埋め込んである。


くぼみはスプーンの先っちょでほじくるんだそうです。



マスカットとデラウェアという似て異なる味と食感をいっしょに口にすると、けっこう美味しくて、初めて味わう楽しさでした(笑)。

子どものやったことと見れば、かわいい行為でおしまいですが、親バカな私は「なんで、これをつくろうと思ったのか?」に興味がわきます。

最近、食べられるほおずきというものを22年間研究して栽培してきた方のお話を聞いてきたのですが、アーネがそんな新種の葡萄をつくるかも知れない。だとしたら、これはイノベーションの原石のようなものです(←親バカ)。

アーネの行動を振り返ってみます。

  1. デザートを盛り付けよう!と思った。
  2. マスカットを切った。
  3. お皿に盛りつけた。
  4. マスカットは半分に切ったものもあれば、一粒まるまるのものもある。
  5. マスカットとデラウェアを交互に食べていた。
  6. そうこうしてるうちに、「ピン!ときちゃった」(アーネ談)。


最初からマスカットにデラウェアを入れようとは考えていないわけです。
マスカットを半分に切る。デラウェアを飾るといういろんな行為を経て、マスカットにデラウェアを埋め込もうと思いつく。

この「ピン!」が何によってもたらされるのか?

考えられることはいくつかあります。

半分に切ったマスカットを見ていて、その中心部に何かを埋め込みたいと思わせる「アフォーダンス」があり、アーネがそれを感知した。

朝食に週に1回は私がつくって出している、チャーハンの真ん中にくぼみをつくって、生卵の黄身を入れている「過去の記憶」が影響した。

アフォーダンスや過去の記憶から創り出すイメージの他、親として大事にしたいのは、アーネがこの時に「そうしたい」と思った気持ちを遮らない、ということでしょうか。
それと、べたべたするからやめなさいと言わないとか、早く風呂に入って寝ないといけないから「さっさと食べちゃいなさい」と急かさないとか。


当初の目標を、超える結果。
当初の目標とは異なる、新しい結果。

そうしたものが「遊び・余剰・余韻」などから生まれるのだとしたら、なるだけ求められない限り、口も手も出すさんとこと思う今日この頃であります。

以上親バカが最前線からお伝えしました。


※子どものprimitiveな原イノベーション的な出来事については、こちらの記事もご覧下さい。

●子どもに完成品を与えることの良しあし


●えほんしんぶん


●なれくずす ~不足と連想が創り出す子どものコトバ

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