言葉の使い方一つで、推測の方向が大きく変わる

アーネ(6才)が今春の小学校入学に備えて、学区内の小学校へ身体検査に行きました。

その時、アーネたち年長さんを連れて、校内を案内してくれたおばちゃんがいたそうです。
校内を案内してくれたのであれば、きっと教員だろうと思い、私が

「アーネが小学生になったら、また会えるかもね」

と言うと、

「"きた"っていってたから、もう、あわないとおもう」

と答えました。


どこから来たのか。何をしている人なのかは聞かなかったそうで、そのおばちゃんが身体検査に来た病院スタッフの方なのか、はたまた保護者の方かボランティアの方かはわかりません。
(そもそも、どういう文脈で、おばちゃんがきた」という言葉を使ったのかもわかりません)

ただ、アーネは「きた」という言葉から、

「このおばちゃんは、(ふだんは)学校にいない人なのだ」

と推測したということが、興味深く感じます。

以前、このような子どもの時間の概念の捉え方についてブログに書いたことがありました。
『子どもは何歳から「時間をあらわす言葉」を理解するの?』



この時は、今日の日中の出来事を、夜、日記にしたためた時、"○○に行く"と書いたら、アーネに"行く、じゃなくて、行った、じゃん"と言われ、いつの間に、「た」がつくと、その文は過去の表現になるというルールを身につけたのかということに驚きました。

今回は、「来た」という言葉からの推測に、なんと表現していいかわからないのですが、驚いています。

どのような文脈で使われるかによって意味は変わるとはいえ、この時のアーネの頭は、

「来た」と「いない。(或いは)別のところにいる」がつながったのだと思います。

もし、おばちゃんが、

「アーネちゃんが小学生になったら、いつでも"来て"ね」

と言っていたら、アーネの頭は、

「来て」と「いる」が、つながったかも知れません。

私たちオトナは、普段ほんとうに何気なく言葉を使っていますが、子どもの言葉の使い方ひとつにハッとさせられ、言葉の意味の持たせ方、使われ方などに思いを致すことがあります。
あと、言葉の使い方一つで、推測の方向が大きく変わることは、プロジェクトに関わる方にとっては、見過ごせないポイントでありましょう。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

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