泣きながら、失敗から教訓を引き出す『しくじり先生メソッド』

2016年10月に、『子ども×新規事業』勉強会 ~俺みたいになるな!! 失敗例から学ぶ事業立ち上げプロセス解説~』と題した勉強会を、ドコモイノベーションビレッジで開催しました。

この勉強会では、まず、私がこれまで自分や投資家やクライアントや政府のお金で行ってきた有形無形の子どもをテーマにした新規事業(以下プロジェクトと総称します)について、出資を受ける際に見せた事業計画書や企画提案書などを交えて、プレゼン形式でご覧頂きました。


タイトルに「失敗例から学ぶ」とあるように、この勉強会は成功事例の紹介ではありません。
表面上はとてもうまくいくように見えるのに、いざプロジェクトが始まると、全然思ったようにいかなかった体験、クリティカルな失敗体験を、テレビ朝日で放映されている『しくじり先生 俺みたいになるな!!』のスタイルにのせてお届けしたのでございます。

この失敗体験を事例として紹介する資料作成にあたって、
プロジェクトを進める上でとても大事なことに気がついたのでメモしておきたいと思います。

この各プロジェクトにおける失敗体験から、「しくじりポイント」を抽出し、“俺みたいになるな!!”と伝えるためには、なぜ失敗したのかを見つめ直さなければなりません。

しかし、これが意外に難しい。

この起業、なんで失敗したんだろうか?
あのプロジェクト、なんでうまくいかなかったんだろうか?

一つ一つのプロジェクトを当時の事業計画書やプレスリリースなどを見返して振り返っておりますと、
「あぁ、営業を他人まかせにしてしまっていたな・・・」とか、
「あっちの手を打っておいた方が良かったか・・・」
などといった、詰めの甘さ、読み違え、ひと踏ん張りをしてこなかったこと等が出てきます。

それをいざパワポで資料化しようとすると、

・・・あれ?
キーワードが叩けない。

キーボードを叩こうとするのですが、直前まで振り返った内容をそのまま書けず、なんだか失敗を美化したがるというか、他の自分以外の要因を探してしまうというか、失敗を都合のいいように意味づけしたくなってしまうのです。

そうやってカッコつけようとし始めると、「いやいや、そんなカッコいい失敗じゃないだろう」と、良心のブレーキがかかります。
すると、失敗という傷口に自分の責任、自分のミスという名の塩をぬりこむような痛みが襲ってきて、涙を流しながらキーボードを叩いたのです。

私はプロジェクトエディティングという、マネジメントしていくのとは異なるプロジェクトの進め方を研究しており、その重要な手段の一つとして、「振り返りをプロジェクトの最後に行うのではなく、プロジェクトの途中で頻度高く実施する」ことを推奨しております。

しかし、人はなかなか振り返りたがりません。これが失敗を振り返るとなるとなおさらです。


でも、他者に「俺のようになるな」と伝えるには、自らの失敗を虚心坦懐に振り返り、教訓を引き出さなければなりません。

これはひらたく言えば「失敗から学ぶ」ということであるものの、その作業を当事者が行うのは、ものすごく痛いものなのだということを初めて知りました。

世の中には何か不祥事が起きると第三者調査委員会を立てるという方法がありますが、プロジェクト上の失敗は当時者が行った方が良いでしょう。

なんといっても、自分がプロジェクトリーダーや責任者である場合は、他者に支持されるよりも自分で考え、決めたものであることが多いでしょう。
自分の判断で生じた失敗は、他者に指示された行動の失敗と比べ、修正が効きやすいというメリットがあります。
また、後で生きてくる失敗となることは、思考の論理展開が可能で失敗の根源を突き止めやすくもあります。
であれば、自分で振り返った方がいい。

まぁ、そうなるためには安心して失敗できる雰囲気や環境であるとか、プロジェクトの規模が大きければ、ピボットやプロジェクト終了以外に選択肢を持ち、かつそれを選択する自由を持たせられるかといった構造的に対応しなければいけないことがありますが、それはまた別の機会に考えるとして、なにかプロジェクトを進めている方々には、自分の過去の失敗の経験を振り返られることをお勧めする次第であります。



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