幼児の「問い」は親との問答の中で立つ 〜4歳娘の問いストーリー
子どもの「なぜなぜ」=「問い」は行動を起こすためのエンジンであるということから始まり、子どものなぜなぜへの対処方法と「問いを立て、行動を起こすための親のつきあい方」について書いてきました。
今回は、前回も言及した子どものなぜなぜへの親の付き合い方から、どのように問いが立っていくのかを考えたいと思います。
まず、「問いを立てる力」は子どもの将来にとって、とても大事になるといえます。
答えのない、経験したことのない課題に直面した時、自分でどうすれば良いかを考えられるようになるために。
また、情報が多すぎて待っていても検索しても色々な答え。言説がある時に、そういった既知の既知、既知の未知を超えた問いができるようになるための。
その力は、様々な慣習や仕組みが現実社会に適応しなくなり、未知の出来事が多くなるこれからの時代に必要な能力であると言っていいと思います。
(まぁ、娘が大人になる頃に、それらの未知な慣習がすでに凝り固まった慣習になっているかも知れませんが。。)
これまで数々の「なぜなぜ」を娘と交わして参りましたが、それは「できない」と思います。
でも、親との問答の中で問いを立たせることはできます。
そこで、幼児がどのように「問いを立てる」ことができるようになるかを、娘との問答の経験を元に下図にまとめてみました。
まず、一番最初に子どもが「なんでだろう?」と思ったことは、子どもの中で仮説を立てることはなく、生理的に「なんで?」と親に聞くでしょう。
この時点では本当に意味での「問い」は立っていません。
(これは「ぶつける問い」とも言います)
その質問を受けた親の答えが、子どもの問いを立てるための鍵になります。
答えを教えて子どもが納得すればそれもよしですが、子どもの問いが立つのは親の考えを示したり、「なんでだと思う?」と逆に問い返すことで起こるものだと考えます。
(答えを教えることでも問いは立つかもしれません)
つまり、「子どもと親との問答の中で問いが立つ」ということです。
子どもは親との問答の中で、取りだすようにして問いを立てているといってよいのではないでしょうか。
ここまで書くとどれだけ子どもの「なんで」に付き合わなければいけないのだ?という気持ちになるかもしれません。
私は気がついた時に、娘の「なんで?」を記録し続けていますが、全ての「なんで?」に対して問答することは不可能なので、親が面白いと思ったり興味をもった「なんで」に問答すれば良いと思います。
子どもと親との問答の中で問いが立つという一連の流れで興味深いのは、最初の「ぶつける問い」に対する応答では、子どもにとっては新しい知識であるものの、子どもが獲得した(触れた)知識に対して再び「なんで?」「本当に?」と問うことで、それが知識を超えて、学びにつながっているのではないか、ということです。
そこで次回は親子の問答の中から、「質問」の持つ効用などについて考えてみたいと思います。
***これまでの「問いストーリー」エントリーはこちらをご覧下さい***
01.『「問い」は「行動」を起こすためのエンジン ~4歳娘の問いストーリー』
02.『答えではなく考えを示して、「問う力」をはぐくむ』
今回は、前回も言及した子どものなぜなぜへの親の付き合い方から、どのように問いが立っていくのかを考えたいと思います。
まず、「問いを立てる力」は子どもの将来にとって、とても大事になるといえます。
答えのない、経験したことのない課題に直面した時、自分でどうすれば良いかを考えられるようになるために。
また、情報が多すぎて待っていても検索しても色々な答え。言説がある時に、そういった既知の既知、既知の未知を超えた問いができるようになるための。
その力は、様々な慣習や仕組みが現実社会に適応しなくなり、未知の出来事が多くなるこれからの時代に必要な能力であると言っていいと思います。
(まぁ、娘が大人になる頃に、それらの未知な慣習がすでに凝り固まった慣習になっているかも知れませんが。。)
それにしても、3歳4歳の子どもが自ら問いを立てることなどできるんでしょうか?
これまで数々の「なぜなぜ」を娘と交わして参りましたが、それは「できない」と思います。
でも、親との問答の中で問いを立たせることはできます。
そこで、幼児がどのように「問いを立てる」ことができるようになるかを、娘との問答の経験を元に下図にまとめてみました。
まず、一番最初に子どもが「なんでだろう?」と思ったことは、子どもの中で仮説を立てることはなく、生理的に「なんで?」と親に聞くでしょう。
この時点では本当に意味での「問い」は立っていません。
(これは「ぶつける問い」とも言います)
その質問を受けた親の答えが、子どもの問いを立てるための鍵になります。
答えを教えて子どもが納得すればそれもよしですが、子どもの問いが立つのは親の考えを示したり、「なんでだと思う?」と逆に問い返すことで起こるものだと考えます。
(答えを教えることでも問いは立つかもしれません)
つまり、「子どもと親との問答の中で問いが立つ」ということです。
子どもは親との問答の中で、取りだすようにして問いを立てているといってよいのではないでしょうか。
ここまで書くとどれだけ子どもの「なんで」に付き合わなければいけないのだ?という気持ちになるかもしれません。
私は気がついた時に、娘の「なんで?」を記録し続けていますが、全ての「なんで?」に対して問答することは不可能なので、親が面白いと思ったり興味をもった「なんで」に問答すれば良いと思います。
子どもと親との問答の中で問いが立つという一連の流れで興味深いのは、最初の「ぶつける問い」に対する応答では、子どもにとっては新しい知識であるものの、子どもが獲得した(触れた)知識に対して再び「なんで?」「本当に?」と問うことで、それが知識を超えて、学びにつながっているのではないか、ということです。
そこで次回は親子の問答の中から、「質問」の持つ効用などについて考えてみたいと思います。
***これまでの「問いストーリー」エントリーはこちらをご覧下さい***
01.『「問い」は「行動」を起こすためのエンジン ~4歳娘の問いストーリー』
02.『答えではなく考えを示して、「問う力」をはぐくむ』