私の商品は「待ち遠しい」と思ってもらっているだろうか?


先日、10歳の記念に父と二人で訪れて以来、26年ぶりに博多に行ったことをブログに書きましたが、父にも「なぜ10歳で長旅に出ようと思ったのか?」といったことを懐かしい気持ちいっぱいで手紙に書きました。
(※参考 『10歳記念の父子旅行以来、26年ぶりに博多へ行ったよ。』

で、手紙が実家に届いたあと、父が「あの時のことが目に浮かんで、さっそく当時の日記を開いた。また手紙を書く」という携帯メールを送ってきました。

どうして10歳記念旅行に行こうと思ったのかという答えが来ること。
自分の記憶の中の旅程が合っているかということ等。

いつもはメール連絡が中心の父が手紙で返事を出すということで、父が手紙を書いて投函し、自宅に届くまでの数日間、ちょっと思い当たらないくらい久しぶりに、「待ち遠しい」気持ちになったのです。

ここで書きたいことはその手紙の内容とか、今時のコミュニケーションはLINEやメッセで短絡的、断片的だが、やはり手紙はいいものだとかいうことではなく。

私自身が食品通販やWebサービスを提供する身として、顧客にその商品や新機能のアップデート等を「待ち遠しい」と思ってもらっているか?ということを、すこし考えておきたかったのです。
(そもそも待ち遠しく思ってもらうことが何のメリットにもならない商品は論外としましょう)

顧客に待ち遠しいと思ってもらうことは、その商品やブランドに対するロイヤリティ、LTVの向上につながるものだと思います。

食品や美容品などの定期購入サービス。
小説や音楽など作家、アーティストがつくるコンテンツ。

これらは、
・作るのにそもそも時間がかかる、生育を待たねばならないもの。
・その季節、時期にならないと採れないもの。それで以て商品を作るもの。
という制約=顧客側の理解(時間がかかるとわかっている)があるため、待ち遠しく思ってもらうためのアドバンテージがあります。

ただ、このアドバンテージにかまけていてはダメで、商品が顧客に届くまでに自分たちが行っている事、時間がかかっている理由は常に発信していく必要があるのではないでしょうか。

逆にこうしたアドバンテージがない。
正しく言うと、時間はかかるのに、顧客からすると時間がかかるように思われていないWebサービス等はそうした情報を発信して良いんじゃないかと思います。

Webサービスなどはスマートに提供してナンボという雰囲気があるように思いますが、その開発現場は泥くさいし、機能やUIの仕様、デザイン一つ決めるのにもディレクター、エンジニア、デザイナーが侃々諤々の議論や試行錯誤を繰り返しています。

そうした姿を見せることがカッコ悪いという価値観や会社としてのポリシーもあるでしょうし、Webサービスでは顧客課題を解決するための機能を、必要最低限の価格で提供することが多く、また毎月毎月商品内容が変わるわけではないので(変わったらむしろ大変)、待ち遠しいという感情を持ってもらいにくいものでありますが、その商品の価格の理由を伝えるという一面はあると思います。
(そのためには日ごろから自分たちの活動をくもりなきまなこで記録し、アウトプットするという運用が欠かせないので簡単ではないですが。)

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