決定までのプロセスを、デジタルツールを使って共有すればいいのではないか?


5/12にアーネの通う小学校に行き、校長先生と家庭学習について話しました。
(※参考 「課題を出して放置プレイ」の小学校長に話を聞いた。

私が強く問題と思ったことの一つに、学校と家庭、教師と親のコミュニケーションの少なさ、関係の希薄さがあります。
私が校長に話を聞きに来るまで、学校には一軒も問い合わせや要望が寄せられなかったそうです。これが学校に期待していないことの現れなのか、学校や教員を慮って問い合わせをしなかったのか、学校に問い合わせていいということを知らなかったのかはわかりません。

いずれにしても共通するのはコミュニケーションの問題です。

学校にはホームページがある。定期的な学校からの通信(お便り)や学年からの通信もある。家庭訪問や参観会や運動会などもある。でも、こういう既存の施策が学校と家庭、教師と親のコミュニケーションに役立っていなかったことに愕然とします。
正直に言うと、私は学校に関心がありませんでした。より良い教育をしてくれればいいけれど、それについて強く要望するようなことはありませんでした。学校・学級通信を読むけれど、「ふ~ん、そうか」で終わり。ホームページも見たことない。今回、未曽有の事態によって、主に家庭学習の行い方について話しを聞きにいくまで、校長と話したこともなければ、アーネの担任と話したこともありませんでした。

しかし、今回校長と話をしたことで、今後の家庭学習や課題の出し方について、学校が意思決定するための材料となる情報を提供しなければいけないと強く感じました。子ども・生徒、学校・教員、親にとっての共通善のため、より良い意思決定ができるように、意見や情報を提供する必要がある。そのためには、まずもって「どのような子どもに育っていてほしいか?」という勝利条件を共有してかねばなりませんが、ここについては触れず、この記事ではコミュニケーション、関係をつくる手段について考えます。


今まで、学校のコミュニケーション手段は紙に強く依存していたと思います。
紙に書いて印刷して配布するのには時間がかかります。お金もかかります。
これは何を意味するかというと、たいていの場合において「完全に決定したことを伝える」しかない、ということです。(もちろん、アンケートなどは違います)
まだ決定していないこと、決定するためにあれこれ考えていることといった、決定までのプロセスを伝えるために、わざわざプリントして配布するようなことはしないでしょう。繰り返しになりますが、紙に印刷して配布するのは、お金と手間がかかります。

では、こうした学校がなにかを決定するまでのプロセスは保護者に開示してはいけないでしょうか?
決定したことのみ伝えなければいけないというルールがあるでしょうか?

未決定状態にあるものを保護者に伝えることで、混乱や紛糾が生じるリスクはあります。
しかし、今回私が校長と話したことで、学校にプリントを取りにこなければいけない理由が、いくつかの方法から検討され、実施の結果を踏まえた決定であることや、現在の課題の出し方が6/1の通常登校を目標とした対応であることや、それが中途半端な状態であることを自覚しているといったプロセスや考えを聞けたことで、私は安心と納得を得ました。そして、より良い意思決定ができるような素材を提供していきたい。そうした関係を学校と築きたいと思うようになりました。

こうしたことを学校が望んでいるかどうかはわかりません。保護者という学校・教員にとっての異質を入れることは、面倒なことでもあります。
ひょっとしたら、学校から通知される情報は、決定したものしか通知していはいけないという思いこみ、暗黙の了解があるのかも知れません。
もしくは、そうした悩みや考えていることを保護者に知らせるのは恥ずかしいことという価値観があるのかも知れません。
でも、プロセスを開示・共有することには上述したようなメリットがあります。

ただ残念ながら、紙に依存したコミュニケーション手段では、コストや手間の面からプロセスの共有をすることが難しい。

そこで考えていただきたいのは、デジタルツールの活用です。。
デジタルのよいところは印刷コストと配布の手間が紙に比べて圧倒的に低いところにあります。
今学校が考えていることなどを保護者に知らせるために、紙ならかかってしまうコストと手間を減らすことができます。

これまでも学校からは課題を取りに来るようメールがありましたから、メールが使えます。ホームページもあります。でも情報の発信や更新がほとんどありません。催事の開催・中止の連絡、保険加入の要請などがほとんど。
学校のホームページに掲載していい情報とはこういうものであるというルールがあるのかも知れません。

先進的な学校や自治体では生徒一人一人にタブレットを配布してオンライン授業を行っているという例があるなか、メールとホームページをこう表現することに少しばかり恥ずかしさがありますが、メールとホームページといった「新しいツール」を手にしているのに、「古い考え」や「古い価値観」のまま運用していては、そのツールの良さが発揮されません。

今回の事態に遭遇し、私だけの体験で言えば、決まったことだけを通知しそれを受け取るだけの関係は、コミュニケーションが取れているとは言えません。
意思決定までのプロセスに関与することがコミュニケーションが取れていると言えるのではないかと思います。
関与は意思決定の場に居させろということではありません。今の個人的な要望は、学校がどのような状況に置かれ、どのようなことに困り、どのように考えているかということを知ったうえで、意思決定するための素材提供をしたいということです。

そうしたことを知るためには、今までの紙依存手段ではコストがかかるため、デジタルを使いましょうよというのがここまで書いてきたことです。
プロセスを知る、プロセスに関わることは、決定した通知を受け取るだけのときに比べて、単純に情報に触れる、コミュニケーションを取る頻度が上がります。

この先、学校がオンライン授業を行うのかどうかということは現時点では興味がありません。
家庭学習をどのように支援するかということについての課題は残りますが、ここは先のブログにも書いたように6/1通常登校がなされなかったときに、学校でできることを考えてもらうために話をさせてもらうことで一旦「待ち」の状態です。補足すれば、家庭学習については父にオンライン授業を行ってもらうことで手は打てています。

ただ、今必要なのは学校と家庭に必要な本質的なコミュニケーション、関係づくりであると考えています。
通常登校が始まったとき、「あぁ、元にもどった良かったね」では、もし第二波、第三波がきたとき、結局同じ問題を繰り返すことになります。

デジタルツールを新しい考え、価値観で運用することを私は学校に要望します。
(ただ、あくまでも紙でそうした関係づくりを行えるのなら、デジタルに固執しません)

第二波、第三波がきたとき、学校がより良い意思決定を行うためのベースとなる関係をつくる機会は、今しかないのではないでしょうか。

このブログの人気の投稿

オラリティとリテラシー。~子どもが世界を知る二つの経路

著者が解説『プ譜』とは何か?概要とテンプレートを紹介します(動画あり)

高崎線の四人ボックス席で帰るプロジェクト 後編