いっしょにできなくなる~キラキラ星から得る教訓
2月、アーネ参観会(学習発表会)がありました。
一年間の思い出を画用紙に絵で書いて発表したり、クラスの「係」の活動について発表したり、音楽の時間を使ったからか、歌を歌ったりしました。合奏が二曲あり、その内の一つが「きらきら星」でした。
参観会の10日くらい前だったと思いますが、アーネが「学習発表会でピアノを弾くんだー!」と持ち返ってきた楽譜を見ると、和音が多くてアーネがピアノを習いたての頃に引いた「きらきら星」とは段違いの難しさです。
アーネはピアノを習い始めた頃に、簡単な「きらきら星」を弾いていたので、これなら弾けると思って手を挙げたそうなんですが、合奏用の楽譜があるというのは、アーネにとって想定外だったことでしょう。
楽譜をもらってきて初めての土曜日。
「ママに、土日にもうとっくん、って言われた」アーネは、「参観会まであと何日ある?」とカレンダーを見て、「あと10日ある、よかった~(笑)」と言い、自分からピアノに向かって練習を始めました。
日曜日は妻と朝から「もうとっくん」を始めましたが、気分が乗らなかったのか、身が入らないので途中から私が変わりました。
私はピアノの個人教室に9年間通って、ようやくバイエルが終わってチェルニーの一桁番台までしかいかなかったくらい、ろくにピアノが弾けません。なので、教えるというより、いっしょに私も弾いて、二人で練習する感じです。
「まずはこの小節までやってみよう」
「パパが下の音を弾くから、アーネが上の音を弾いてみよう」
「何時までやったら休憩しよう」
「何時までにここが弾けたらオヤツで好きなものを買いに行こう」
「今のうまくいったやん!もう1回わすれないうちに弾いてみよう!」
とかなんとか言って、できている所を「ミつけ」たら大いに「ホメて」、ちょっと疲れてきてもたれかかってくるのを振り払って練習させたいところを、「どしたん?」と聞くと、「ぎゅーってして」と言うので、ぎゅーっとして「ハゲまして」と、ミハホの法則で朝から晩まで練習に付き合いました。
いくつかの難関はどうにかできるようになってきて、これなら残り一週間でいけるかなと思いましたが、今日できて明日できるとはかぎらないので、月曜日は早く帰ってきて練習につきあいました。
水曜日にアーネが通っているピアノ教室のレッスンで、きらきら星の練習をさせてもらうことにしたところ、先生が難しい和音をけずって、アーネの今のレベルで弾けるようにアレンジしてくれました。
これでだいぶ演奏の目途が立ち、レッスンに行った後はずいぶん弾けるようになっていました。さっさと先生のところに行っておけば良かったかも知れません。
ただ、先生なしでむずかしいことをできるようになったのが私たちには大事な経験です。
学校でも、教室にあるピアノで休み時間などに、一人で練習していたそうです。担任の先生にやっておこうと言われたのかわかりませんが、「自分の意思で、学校で練習をした」ということが事実であれば、それだけでも十分素晴らしいことじゃないかと私などは思いますが、迎えた参観会当日は、最初はうまく弾けたものの、途中つまってしまって、ピアニカや鈴グループが先に演奏を進めるなか、途中からうまく合わせることができました。
残念ながら二番(繰り返しのパート)は弾こうとするものの、みんなと演奏が合わせられず、完璧とは言えなかったものの、一回失敗しても途中で合わせることができたことや、うまくできなくても投げ出して泣いたりせず、弾こうとしたことが素晴らしいことだと思います。
練習をイヤイヤやってイヤな気持ちになってこのような結果を迎えたら、子も親も後味の悪い思いをするかも知れませんが、一生懸命やって、かつ上手に弾けるようになったところを楽しく練習の時間に弾いて見せ、という過程をふんでいたことが、心底「よくやったねぇ」と感じることにつながったんじゃないかと思います。
以上のことから、以下のような教訓を得ました。
●いろいろ悩んで悪戦苦闘するなら、さっさとその道の専門家や熟達者に聞け。教えを乞え。
●一緒に“できなくなる”と、「なんでできないの?」というマインドになりにくい。一緒に“できるように”考えることができる。
●過程を大事にすると、評価の目が変わる。(ちがうかな?)
今回のピアノレッスンのおかげで、数十年ぶりにピアノの楽しさ難しさを思い出しました。
以上、親バカが最前線からお伝えしました。