高校生が「史上最高の卒業」プロジェクトのプ譜を考える。

2018年10月に、創価高校で行われている『ことばと自分』という授業の一環で、プロジェクトについて学び、プ譜を制作するワークショップに行ってきました。


2018年2月に開催した一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会さんとの勉強会に、同校の先生が来ておられた際に、プ譜を知って頂いたのがキッカケでした。

今回の授業を引き受けた一番の理由は、創価高校にはライティングセンターがあり、その指導をしておられる先生にプ譜を使った授業をしてみたいと言われたことです。
ライティングセンターというと小論文や志望動機などの添削指導を行ってくれるようなイメージがありますが、ナンシー・アトウェルのライティングワークショップの活動から、「書く」ということが、テクニカルな「書く技術・スキル」の習得ではなく、「書き手が人間として成長していく」ことができることを知りました。プ譜はデジタルツール化を考えてはいるものの、基本は紙に書いていきます。このプ譜という一つの書くスタイルが、本職の先生に興味を持ってもらえただけで十分嬉しいことですが、その授業を受けている生徒たちがプ譜をどのように書くのかを見てみたいと思いました。
ちなみに、『ことばと自分』という活動の目的は、プレゼンテーションなどの発表上手になることではなく、「発見・変化を自覚できるようになる」ことにあり、視点を外側(他者)でななく、内側(自分)に向けているところに特徴があります。


授業は45分間授業を二コマ使って行いました。
プ譜に限らず、ワークショップやセミナーを行う際に最も時間を使うこととして、「なぜ参加者のあなたがこの場にいて、この活動のために時間を使うのか」という意味付けを行うことです。言い換えれば、参加する意義や必然性を示し、「やるぞ!」と思わせることに頭を悩ませています。

高校三年生にとって、「プロジェクト」という言葉はあまり馴染みがないと思われたので、私の学生生活を例に取って、「プロジェクト」というものを説明することから始めました。


あなたたちの目の前にいる今年40歳になる、何の変哲もないおじさんは、学研の歴史漫画にハマったのを皮切りに、中国の歴史漫画にハマり、KOEIの三国志のシミュレーションゲーム(PC)にハマり、それがキッカケで中華人民共和国に留学したこと。


一応、受験はして日本の高校に合格したものの、中学卒業前には中華人民共和国に留学することが決まっていたので、高校の入学式当日に休学届けを出し、一日も出席しないまま退学したため、高校生活というものを知らないということ。

大学内にある留学生向けの語学学習センターで中国語を学ぶかたわら、歴史を教えてくれる先生を探してもらい、その先生に私淑し、その先生が教授を務める大学に入学したこと。その大学にとっては初めての本科生であったこと。


四年間、中国人学生と共に勉強したものの、卒業式があるということも知らず、就職活動をするという常識すらなく、気づいたらクライメイトは卒業して就職を決めていて、自分はまったくノープランだったこと。


などなど、私の学生生活には前もって書かれた「プログラム」や前例や教えてくれる人は側におらず、いつも未知のことだらけだったということ。そうした未知のことをプロジェクトと呼ぶのだということを話しました。



これから学生のみなさんが進学したり、就職したりする中、世の中自体がどんどん未知になっていく。プロジェクトが増えていくということ。
そんな社会を生きていくうえでは、自分の「こうなりたい」を定め、どうなっていたら成功かを定義し、そのための手段を考えて進めていく力が必要になってくれであろうということ。そんな世の中に生きていくための予行練習を、「史上最高の卒業」をテーマにやってみようという話をしました。
(※「史上最高の卒業」は、先生が考えてくださったテーマです)

学生のみなさんは、「史上最高の卒業」とは何かを思い思いに定義し、それがどのようになっていたら成功と呼べるのかという勝利条件をひねり出し、そのために必要なあるべき状態や施策を考えだしていました。
それらのプ譜をここでお見せすることはできませんが、プ譜を書いてみた振り返り内容を先生が送ってくださったので、それをここに貼っておきます。




企画頂いた先生からは、「生徒全体や生徒の人生を考えると、“プロジェクト”というほど明確な輪郭を持たせることもできず、しかし向かって行く先は確実にある何とも言えない“流れ”がある。ただ「思い描く力」の重要性だけはひしひしと感じている。プ譜の魅力は、プロジェクトを推し進める力を書き手にもプロジェクトメンバーにも与えてくれる点にあり、“プロジェクト”という切り口でタスクや目標を捉え直すだけで,新たな見え方も意識すべき点も発見できる」という感想を頂きました。

私は就職活動も知らず、日本風の大学受験も経験していないので、一概にそうとは思いませんが、高校生は受験という大きな目標と、中間・期末テストといった小さな目標はあるものの、その中間がないという先生の感想が、今回の授業で一番気になりました。
自分が進みたい大学があれば。或いはこんなことを学びたい、こうなりたいという目標があれば、そこから逆算して何をやればよいかということは考えられるのではと質問しましたが、テストはできるけど、それはただ目の前のテストをこなしているという感じである、との答えでした。

先生はそうした状況を「ことばと自分」の活動で少しでも変えたいと思っておられるのかと感じましたが、日本の学校教育の在り方について少し考え込んでしまう経験になりました。

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