【往復書簡】愛を何で測定・評価するか?

長尾さん、「評価のし方」についてのお返事(『評価はともだち』)ありがとうございます。
頂いたお返事のうち、特に刺さった部分があったので、先にブログをご覧頂いている方にも紹介したいと思います。

上長や他者からの所与の目標・指標ではなく、メンバーが話し合い意味が共有された目標・指標で評価できているかどうかを評価する。自分たちで話し合って決めた目標と指標であれば、プロセスと結果を「評価」することが楽しくなり、仕事や作業に「意味」が生まれます。

色々なプロジェクトに関わる中、他者からプロジェクトを与えられたままの状態の人は、そのプロジェクトがどうなっていれば成功と言えるのかという「勝利条件」の設定ができず、それをどう進めていくかというプランもなかなか持ち得ません。KPIはあるというけれど、そこに確固たる根拠がない。
でも、与えられたプロジェクトを、所与の制約の範囲内で自分なりに「変化させる」或いは「解釈」できる人は、そのプロジェクトを進めることができる傾向があります。上述の「目標と指標を自分たちで話し合って決める」ということは、プロジェクトを「変化させる・解釈」できることと同じことかも知れないと思いました。それに、プロセスと結果を「評価」することが楽しくなり、仕事や作業に「意味」が生まれれば、きっと「工夫」も生まれてくるはず。
すごくワクワクしてきます。

・・・と、感想はここまでにして、今回頂いたお題「愛を何で測定・評価しますか?」についてです。

長尾さんは、私たちが子どもの頃、任天堂から「ラブテスター」というジョークグッズがあったのをご存知でしょうか?


男女が互いにスティックを握り、内蔵されているセンサーが手のひらの温度上昇や発汗による電気抵抗の変化を「愛情度」として表現したものです。このお題を頂いた時、すぐに思いついたのがコレでした(笑)。
体温、心拍、瞬き、視線の動きなど、色んな取得できるデータがあって、それらはどれもこれも測定することができますが、こういうサイエンティックな切口は私の専門外なので、自分の実体験をもとにお返事したいと思います。


このお題に応えるにあたり、まずこの一年内にあった私とアーネ(6才)のエピソードを紹介させて下さい。

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【エピソード1】
先日、私が事務仕事をしている傍にアーネがやって来て、大好きな曲をアカペラでノリノリになって歌っていました。お金の計算をしていた私は、「歌う声をもうちょっと小さくしてくれる?」とお願いしたところ、アーネは、

「1から10のいくつにする?」

と聞いてきました。
たまたまアーネがオーディオの側にいて、音量調節のツマミやデジタルの音量ゲージが目に入ったからかも知れませんが、自分の声の大きさを変えることの目印を、「数」で表現するということが面白いなぁと感じました。

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【エピソード2】
この夏、アーネと天気予報を見ていて、「明日の埼玉県熊谷地方は38度前後になるでしょう」と言った気象予報士の言葉を聞いて、アーネが、

「なんで38度なの?」

と聞いてきました。この時私は「正確な温度計を用いて計測しているからだよ」と答えたのですが、アーネが「なんで?」と思ったのはそこじゃない。
「なんで、38という数字で暑さを表すことができるのか?」という意味だったのです。

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【エピソード3】
アーネは5才からピアノを習いだしました。先日、畳み終えたタオルをソファに置いていて、「ずいぶんタオルを使うんだな」と私が下から指をはわせながら数え(数字は口に出していません)、数え終えるタイミングで、アーネが、

「ドレミファソラシドレミ、だぁ!」

と言いました。枚数はちょうど10枚でした。ドレミファソラシドという音階を「数える指標(=めじるし)」とすることもできるよな、と思いました。



この三つのエピソードを取っ掛かりにして、「愛を何で測定・評価するか?」について考えていきたいと思います。

エピソード1の、「声の大きさを変化させるという明文化しづらい行為を、“数”で表現する」というのは、ユーザー調査などでよく使われる「代替指標」(例:気持ちとして10点中何点くらいですか?)という手法に近く、アーネは声の大きさをオーディオの定量的に表現―、つまり指標化したのだと思うのです。

エピソード2が示唆するのは、「諸条件の結果、これくらいになったら38度だ」と表現することは指標化の行為そのものでありますが、その指標は、世界の人々が「納得」し、「(指標と)約束」したからこそ成り立っていると言えるということです。

エピソード3は、1,2,3・・・という数字を使った数え方はあるけれど、音階というまったく異なるものも指標になり得るということを気づかせてくれました。

これらのエピソードをつなぎ合わせると、「指標」というものは以下のようにも言い表すことができるのではないでしょうか。


  • 指標とは、人が人と、人が世界と交わす「約束」である。
  • その「約束」のうち、天気予報のように普遍的なものは、多くの人びとが納得する(合意を取る)必要がある。
  • 逆に、狭い範囲、小さな規模で交わす約束もある。
  • 指標は、人間の素の声の大きさを数値で表現するように、人が恣意的に、かつ暫定的にきめるところから始まる。
  • 「指標=めじるし」は1,2,3という数字だけでなく、音階など他のものでも代用できる。
  • その指標の表現が、しっくりこなければ変更してもよい。(しっくりくるものを探す)


ここまで指標についてずいぶん字数を割いてしまいましたが、結論に至るまでもう少しお付き合いください。

今回のお題、「愛を何で測定・評価するか?」を考えるためには、測定・評価する対象、つまり「指標」が必要であり、
指標を定めるには「目標のあるべき姿・状態を定義する・正しく表現すること」が必要です。
このプロセスをあらためて整理すると、以下の手順を踏みます。


  1. 現状から目標に至るためには、「目標のあるべき姿の定義」を行う。
  2. 定義したものに至るための指標を定める。
  3. その指標を測定する手段・方法を考える。
  4. 実行する。
  5. 測定する。
  6. 測定したプロセスと結果を評価する。


今回、「愛」を測定・評価するということは、目標とする「愛のあるべき姿・状態」がまずです。また、それを測定・評価するための「指標」も設定せねばなりません。そして、指標とは「約束」であるとしたうえで、その約束を「誰」と交わすのかが最も重要だと考えます。

私は愛という言葉をこれまでの人生でそうそう使ったことも考えたこともありません。せいぜい、妻との愛。アーネやジージョとの愛。両親との愛、二人との愛くらいしか、今も考えることができません。でも、その愛のあるべき状態とその指標は、その約束を誰と交わすかでまったく異なるものになります。
そして、その指標がしっくりこなければ、別の指標に差し換えたりアップデートしたりすることでしょう。

何が言いたいかというと、「愛を何で測定・評価するか?」という問いについては、「それは誰と、どんな目指すべき愛の姿を設定し、そこに至るための約束を交わすかでぜんぜん違うものになるので、一概に答えられない!」という結論なのです。

愛を測ることができない、と言っているのではないんです。私と妻があるべき愛の姿を話し合い、そのための指標=約束を交わす。何があるかなぁ・・・、
「お互いを尊敬して慈しみあう」というあるべき姿を定めたとして、そこに至る指標として「週末に1回30分は肩・腰を揉む」とか「月に1回はエッチする」とか「アーネとジージョの誕生日には、妻にも“生んでくれてありがとう”プレゼントを贈る」とか、定量的な指標も定性的な指標も考えられそうです。でもって、それができているかを測定して評価する。

その評価の方法をどんな雰囲気で、どう行うのかも大事になってくる気がしますが、ここまで書いて長尾さんに質問したいことが出てきました。

今、『かかわることば: 参加し対話する教育・研究へのいざない』という本を読んでいます。


この本では、「かかわり(engagement)」という概念がメインテーマになっているのですが、この本を読んでいて、まったくそのプロジェクトに思い入れも何もない人がアサインされた時、どうやってその人とプロジェクトの「かかわり(engagement)」をつくっていけばいいだろうと思いました。
一昔前は、飲ミュニケーションで親睦を深めるといったことがありました。最近では長尾さんのご専門であるチームビルディングもありますが、これらは人同士をengagementしますが、人とプロジェクトをengagementさせるでしょうか?
私はこれまで「自分で仕切って、タスクを与え管理する」式のプロジェクトばかりやってきたため、このengagementという概念を知って、考え込んでしまいました。

「人とプロジェクトをどうengagementさせるか?」

長尾さんはどのようにお考えになりますか?

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