子どもの「よさ」ってなんだ?

アーネが小学一年生になり、初めての夏休みはあっという間に過ぎ去り、もう二学期です。
ゆっくり一学期を振り返る間もないままでいましたが、振り返らないのが気持ち悪くなってしまう性分なので、浅くてもいいので印象に残ったことを中心に振り返ります。

明日から二学期という日に、通知表の「通信欄」に保護者が書かないといけない欄があることに気づきました。



担任の先生からはこのように書かれていました。


保護者は何を書けばいいのかというと、下図のようにあります。



家庭における子どものよさ。


先生の書いた内容が、成績を◎◯△といった指標で表すものではない、態度やそれらに当てはまらない目についたエピソードを書いていることを、家庭に当てはめて書けばよいのかと思いました。

そうして、いざ「家庭における子どものよさ」を書こうと考えた時、頭に浮かんできたのは、「アーネ(そのもの)の良さ」ではなく、「親にとってのよさ」だったように思います。

思います、と書くのは、その時どんなことが浮かんだかを正確に覚えていないからです。

このブログをお読み頂いている方はご存知の通り、アーネの情報編集力、イノベーティブな見立てる力など、アーネの「よさ」はたくさん体験して知っています。
でも、「家庭における」と枕詞がつくと、「親にとってのよさ」に置き換わってしまうのです。

時々、言わなくてもピアノの練習をするようになったとかだったか。
親がジージョに怒ると、アーネがそっとジージョをなぐさめにいくとかだったか。
とにかくよく思い出せません。

こうやって書くと、特段「親にとってのよさ」でもないように見えますが、この時頭に浮かんだアーネのよさが、親にとって「都合のいいよさ」に思えのたのです。
子どもがそうするから、親が助かる。イライラしない。そんな感じの「子どものよさ」だったように思います。

ちょっとうまく書けないんですが、書きながら「これは注意せなかあかん」と思ったのは、『ハンスの賢い馬』のエピソードにもあるように、ついつい親が無意識に自分の正解や価値観を子どもに押しつけてしまいがちです。そのため、それでもって子どもの良さを規定したらあかんな―、ということです。
(ちなみに、これは企業が採用活動で「いい人がほしい」と言いつつ、その実、自社のルールやフォーマットに合わせてくれる「都合のいい人」を採用してしまうのと、構造的に同じ問題だと思います)

子ども本来の「よさ」をよく見て受け入れる。

これが私たち以上にダイバーシティな社会を生きていく子どもを育てる上で、大事なことではないかと思った次第です。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

このブログの人気の投稿

オラリティとリテラシー。~子どもが世界を知る二つの経路

著者が解説『プ譜』とは何か?概要とテンプレートを紹介します(動画あり)

高崎線の四人ボックス席で帰るプロジェクト 後編