子どもの「書く」と「機能」。覚えるため、表現するため、伝えるため。

アーネ(6歳)が文字を書くようになってから、最初は見よう見まねで自分の名前や数字を書いていたのが、だんだんと単語を書くようになり、次いで文章を書くようになりました。

文章を書くようになったのは、5歳頃からでしたが、最初は自分の中にある何かを「表現」したいために書いていたと思います。

アーネの紙芝居

それからほどなくして、「記憶」のために書くようにもなってきました。
休みの日にやりたいことを忘れないために書く。

最後の「こうえん」だけ自分で書いた。
頭に浮かんだ歌を忘れないために書く。
(参照 『かんがえたうたをわすれたくない娘に、人間の根源を見る』


食べたいラムネのつくり方を忘れないために書く。


遊びに来た叔母に出すナゾナゾを覚えるために書く。
ミラクルちゅーんずの名前を忘れないために書く。

書きつける物は基本的には自由画帳やなにかの裏紙ですが、ポストイットなどにも書くようになりました。


「なんで くだものはなかがわがあまいんですか おしえてください」


休みの日をどのように過ごすか、朝は水色。黄色はお昼。オレンジは夕方。黄緑は夜、と、時間帯で色を変えたのには、けっこうタマゲました。
同じようなことを、夏休みにじぃじとばぁの家に行ったらやりたいことを、ポストイットに書き、それをお手製のカレンダーに貼っていったこともありました。

覚えるため、忘れないためにはそれぞれの目的がありますが、アーネの書くは「なにがしかを実行するリスト」にもその範囲を広げていきました。

表現、記憶の次に来たのが、他者に自分の気持ちなどを伝えるための「書く」でした。

2歳のジージョは、アーネのするコト持つモノなんでも欲しがって、「ジージョがつかってた!」と横取りして、取り返されると大泣きし、アーネを叩きます。ジージョに遊びを度々ジャマされるのに怒ったアーネは、こんな手紙を書いて、ジージョに「読みなさい!」と言いました。


「ジージョ どうしておねえちゃんわやさしいのに ジージョどうしてさやしくないの たまにやさしいときもあるよね」

最後の「たまにやさしいときもあるよね」にアーネのジージョを責めきれない心情を垣間見て涙がにじんできます。

他にも、自分がつくったカプラのらくだをこわされないよう、伝言を書いたり。


おやつに作ったドーナツを一つ残して、私へのメッセージを書いたり。

よっぽど、できたてが美味しかったに違いない。

アーネはこれから成長していくに従って、「世界に向けた文章」、「自分に向けた文章」、「文章に向けた文章」といったリテラシーの要素を求められるようになります。

文章を書く、と一口に言っても、描写、意見、説明、説得など目的でスタイルが異なってきます。

「説得」では、自分が書きたいことでなく、いかに相手を動かすかが課題。

「描写」では、眼前の自然や出来事を忠実に書くことが求められる。

他にも、商品の特徴や人物の功績といった「紹介文」や、その文章を書く媒体によって異なる描き方をする必要が出てきます。

私は日本の中学校を出て、高校には行かず、中華人民共和国の大学に入ったので、こうした目的によって異なる文章の書き方を日本の高校と大学で学ぶのか知りませんが、少なくとも小中学校の頃、こういう観点でモノの書き方を学んだ記憶がありません。
(単に覚えていないだけかも知れない)

今の日本の小中学校でこうしたことを学べるのかも知りませんが、通り一遍の作文教育しかやらないなら、目的や媒体によって異なる書き方を、テストやドリル方式ではなく、暮らしや遊びの中で伝えていきたいものだと考える次第であります。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

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