子どもは本当に目クソを食べているのか?
どこの家庭でも、はなくそを食べる子どもの習慣に一時悩むことがあるかと思います。
いったいぜんたい、なんで子どもははなくそを食べるんでしょうか?
わが家もご多分に漏れず、はなくそを口にするのを見かけますが、どちらかというとはなくそよりめくその方がが多いようです。
めくそはなくそをを笑うという格言がありますが、どちらがおいしいんでしょう?
それはともかく、娘がめくそを食べるのは、起床後のまだ眠そうに目をこすっている時です。
この習慣はやめさせねばなるまい、と決心した私は、従来であれば、
「めくそは食べ物ではない!」
と頭ごなしに言いつけてやめさせようとしたと思います。
しかし、アーネの「なんで?」から「なんで?」の持つ力に気づいた私は、そうした強制的な言い方ではなく、アーネに、
「なんで、アーネはめくそを食べるんだい?」
と聞いてみることにしました。
(参考 『4歳娘が「なんで?」と質問したこと100選』)
するとアーネは、
「たべてない!つばをつけてとってるの!」
と怒って答えたのです。
アーネに対して申し訳ないことを行ってしまったと反省すると同時に、この出来事は私に「なんで?」を取り扱う上での注意点を教えてくれました。
まず、固定概念についてです。
アーネが人差し指を目じりにもっていって、目を何度かこすった後、指を口にもっていっていた一連の行為を目にした私は、「子どもははなくそを食べる」とい固定概念から、「アーネはめくそを食べている」と見てしまいました。
次に、観察の大切さについてです。
上述のアーネの行為をもっと注意深く、何度か観察をしていれば、この行為のスタートが人差し指を目じりに持っていくことからスタートしているのではなく、人差し指につばをつけてから持っていっていることを発見できたかも知れません。
(まずは指を目じりにもっていって、目やにの固さを確認してから指につばをつける場合もあるかも知れませんが・・・)
もう一つは、固定概念とも結びつきますが、問い(仮説の設定)を間違えると、誤った施策を取ってしまう可能性があるということです。
かつて、国際エイズワクチン推進構想(IAVI)は、エイズウイルスの有効な予防接種の発見を目指して、科学コミュニティにアイデアにの応募を呼びかけましたが、その試みは失敗に終わりました。
その理由は、専門家たちが問題をワクチンと結びつけて固定してしまい、ワクチンになりうる解決策しか探索しなかったことにあります。
この問題に対し、イノベーションコンサルタントのアンディ・ジンガは、ワクチン開発でなく、「タンパク質の安定化」に目を向けてはどうか、と提案しました(課題を解決策のタイプ=ワクチンから、問題そのもの=タンパク質の安定に切り替え)。
その結果、以前よりもはるかに革新的な解決アイデアがIAVIに寄せられ、うち3件に研究助成金が与えられたのだそうです。
このように、事象に遭遇した際、答えを性急に求めようとしたり、固定概念から誤った仮説を立てて、失敗を招くという教訓が世の中にはゴロゴロとあります。
脳には早わかりをするという性質がありますが、それは固定概念によって促されているようで、その早わかりしたいところをグッと堪えたり、意識的に自省したりしながら、注意深く観察し、他の可能性を考えた上で仮説を立てなければいけないということを教えてくれます。
固定概念に根差し、早わかりした脳みそで立てた仮説は大いに間違っている可能性がある。
プロマネとして肝に銘じておきたい出来事でした。
以上、親バカが最前線からお伝えしました。
いったいぜんたい、なんで子どもははなくそを食べるんでしょうか?
わが家もご多分に漏れず、はなくそを口にするのを見かけますが、どちらかというとはなくそよりめくその方がが多いようです。
めくそはなくそをを笑うという格言がありますが、どちらがおいしいんでしょう?
それはともかく、娘がめくそを食べるのは、起床後のまだ眠そうに目をこすっている時です。
この習慣はやめさせねばなるまい、と決心した私は、従来であれば、
「めくそは食べ物ではない!」
と頭ごなしに言いつけてやめさせようとしたと思います。
しかし、アーネの「なんで?」から「なんで?」の持つ力に気づいた私は、そうした強制的な言い方ではなく、アーネに、
「なんで、アーネはめくそを食べるんだい?」
と聞いてみることにしました。
(参考 『4歳娘が「なんで?」と質問したこと100選』)
するとアーネは、
「たべてない!つばをつけてとってるの!」
と怒って答えたのです。
アーネに対して申し訳ないことを行ってしまったと反省すると同時に、この出来事は私に「なんで?」を取り扱う上での注意点を教えてくれました。
まず、固定概念についてです。
アーネが人差し指を目じりにもっていって、目を何度かこすった後、指を口にもっていっていた一連の行為を目にした私は、「子どもははなくそを食べる」とい固定概念から、「アーネはめくそを食べている」と見てしまいました。
次に、観察の大切さについてです。
上述のアーネの行為をもっと注意深く、何度か観察をしていれば、この行為のスタートが人差し指を目じりに持っていくことからスタートしているのではなく、人差し指につばをつけてから持っていっていることを発見できたかも知れません。
(まずは指を目じりにもっていって、目やにの固さを確認してから指につばをつける場合もあるかも知れませんが・・・)
もう一つは、固定概念とも結びつきますが、問い(仮説の設定)を間違えると、誤った施策を取ってしまう可能性があるということです。
かつて、国際エイズワクチン推進構想(IAVI)は、エイズウイルスの有効な予防接種の発見を目指して、科学コミュニティにアイデアにの応募を呼びかけましたが、その試みは失敗に終わりました。
その理由は、専門家たちが問題をワクチンと結びつけて固定してしまい、ワクチンになりうる解決策しか探索しなかったことにあります。
この問題に対し、イノベーションコンサルタントのアンディ・ジンガは、ワクチン開発でなく、「タンパク質の安定化」に目を向けてはどうか、と提案しました(課題を解決策のタイプ=ワクチンから、問題そのもの=タンパク質の安定に切り替え)。
その結果、以前よりもはるかに革新的な解決アイデアがIAVIに寄せられ、うち3件に研究助成金が与えられたのだそうです。
このように、事象に遭遇した際、答えを性急に求めようとしたり、固定概念から誤った仮説を立てて、失敗を招くという教訓が世の中にはゴロゴロとあります。
脳には早わかりをするという性質がありますが、それは固定概念によって促されているようで、その早わかりしたいところをグッと堪えたり、意識的に自省したりしながら、注意深く観察し、他の可能性を考えた上で仮説を立てなければいけないということを教えてくれます。
固定概念に根差し、早わかりした脳みそで立てた仮説は大いに間違っている可能性がある。
プロマネとして肝に銘じておきたい出来事でした。
以上、親バカが最前線からお伝えしました。