教室はまちがうところだ

この記事の一つ前に、しくじり先生メソッドについて書き、その文末に、「プロジェクトには失敗できる雰囲気や環境が必要」ということを書きました。

これはプロジェクトに限らず、子どもの教育にとっても同じことが言えます。

なんでも効率的に。最短距離でゴールすることを良しとする(良しとせざるを得ない)世の中に生きておりますと、失敗なんてやっておれるかと思ってしまいます。

そんな大人の、親の価値観は子育てにも影響していて、子どもが字を書いたり、本を読んだり、何かを発言したり、作ったりする時に、間違えないようにさせたり、間違いを正しく直したりしてしまいます。
そんな育てられ方をした子どもは、失敗すること、間違うことを恐れるようにならないでしょうか。
それが子ども自身の学びや成長に影響を及ぼしはしないでしょうか。
(これ、私が私自身に語りかけています)

そんなことに対して、数か月前からようやく気を配れるようになってきた折、正月に帰省した実家で、素晴らしい詩に出会いました。

教室は間違うところだ(まきた しんじ)


私の両親は小学校教員で、父が担任を受け持つクラスの始業式の日に、この詩の一部を抜粋して教室の黒板に掲げていたのだそうです。

「いつも正しくまちがいのない答えをしなくちゃならんと思って」
「まちがうことがこわくてこわくて」
「しかたがないから先生だけが勝手にしゃべって生徒はうわのそら」
「神様でさえまちがう世のなか」
「はじめからうまいこと言えるはずがないんだ」
「安心して手をあげろ 安心してまちがえや」

かつて、会社は学校じゃねえんだよという名セリフがありましたが、この詩の舞台である「教室」を「会社」や「プロジェクト」に置き換えても、違和感がありません。

それはともかく、子どもが安心して間違うことのできる雰囲気、環境がいかに大事であるかということをこの詩は教えてくれます。

そういえば、私の友人のカード&ボードゲームデザイナーのI君は、ゲームが子どもに与えるであろう良い影響の一つに、「負けを認めることの大切さ」を挙げていました。
ゲームに負けてもふてくされず、なぜ負けたかを認め、負けた原因を考えることが大事なのだそうです。

これは『しくじり先生メソッド』にも同じことが言えますが、程度によれども失敗からは貴重な教訓やノウハウ、次の打ち手のアイデアを得ることができます。

そりゃまぁ失敗しないにこしたことはありませんけれども、一度も失敗しないことの方がはるかに難しいワケで、失敗や間違いをけしてネガティヴに捉えるのではなく、チャンスの一つとして心構えていられているようにすれば、失敗をしてもリカバリできるような気がするのですが、どうなんでしょうか。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

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