かたち・なまえ・もじが揃わなければ、意味は通じないか?

ジージョ(10ヶ月)が生まれて以降、土日にアーネ(4歳)と近所のスーパーへ二人で買い物に行くことが多いのですが、スーパーに行くと、興味深いできごとがよく起こります。
(正確には、アーネがスーパーという場で起こしています)

先日はバナナ売り場で4本の大きなバナナと5本の小さなバナナのどちらを選ぶかでたいへん悩む娘の姿から、「未測量」という概念を知りました。
(⇒未測量 ~幼児期の算数教育に必要な「原体験」


最近、こんな二つのできごとがありました。

アーネが買物カートを押し、私が妻から預かった買い物リストに書いてある野菜やら果物やらを放り込んでおりましたら、「スナップエンドウ」を買い忘れたことに気づきました。
「ちょっと取りに行ってくるで」と、その場を離れようとすると、
「まって!アーネがいく!」と、野菜売り場に戻り、豆コーナーから迷うことなくスナップエンドウを取って帰ってきました。

日にちは変わりまして。

同じように二人でスーパーへ行った時、「小松菜」を買おうとして、アーネに「小松菜取って」とお願いすると、
「え~と、こまつなこまつなぁ・・・。」と言いながら青物コーナーに行き、小松菜が入っている袋に書かれた「こまつな」というひらがなの文字を見て、
「よし、これだ。(フムフム)」
と、納得したような表情で、小松菜を取ってきたのです。
この行動には少し説明が必要です。我が家の小松菜料理は、スーパーで売っているような姿形で小松菜が食卓に現れることはありません。短く切って海苔と合えたおひたしにしたり、豚バラと卵と合えた炒め物になったりします。普段アーネが見ている小松菜は、スーパーと同じ形ではないので、すぐに見つけられなかったのではないかと思います。

話を戻しますと、この二つのエピソードは、アーネが「スナップエンドウ」の姿かたちを知っていて、文字を見ることなく手にしたことと、「小松菜」は聞いて食べたことはあるけれど、姿かたちがわからなくて、文字を見て手にしたということから、モノの「かたち」と「なまえ」と「もじ」の関係のようなものと、子どもが世の中のモノゴトを獲得していく二種類の経路を教えてくれたのではないかと思うのです。


スナップエンドウは「かたち」と「なまえ」がくっついるので、わかっていて。
こまつなは「なまえ」と「もじ」をくっつけにいって、わかった。


いきなり飛躍するのですけど、幼児教育向けのドリルものには、モノの名前を覚えるためのイラストがたくさん描いてあるものがあります。
ここにはモノの「イラスト(絵としての形)」と「なまえ」と「もじ」があるので、一応、「かたち」と「なまえ」と「もじ」は一致するのですけど、「こまつな」は調理前と調理後で姿かたちを変えるので、仮にそのドリルに「こまつな」が出ていても、子どもは「自分が食べているこまつな」と、ドリルに書いてある「こまつな」は直接には結び付けられないと思うのです。

でも、アーネは「なまえ」と「もじ」をくっつけにいったことで、

「これが“こまつな”なんだ」

と、「かたち」と「なまえ」と「もじ」を一つにしたわけです。

あぁ、人はこうやって世の中のモノゴトを獲得していく。世界を広げていくのかと、一週間分の食材でカゴがいっぱいになった自転車をこぎながら、じわりじわりと感動したのです。


私たちは仕事をするなかで、直接知らない、体験したことのないビジネスモデルやマーケティング施策、ビジネス用語や格言といったものをよく耳にして、よくわからぬまま、或いはわかったような気になって、ずんずん進んでいる気がしておりますが、こうした子どもの世界の広げ方に折に触れることで、そんな自分にブレーキをかけないとなぁと思う次第であります。


以上、親バカが最前線からお伝えしました。

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