iPhoneで撮るのは失礼、という価値観

旧時代のテクノロジーにかきがらのようにくっついた価値観というものは、新時代のテクノロジーに触れた時たいてい否定的な反応を示すものでありますが、わが身をもって体験したことがあったのでメモしておきます。


私は今『1Roll(ワンロール)』という動画制作アプリのプロマネをしておりますが、とあるメディアで製品説明を行う機会がありました。

その時に相対していた上層部の方々の反応は、

「こんなに簡単に動画ができるのかぁ!感激!」

だったのが、後日現場に落とした時の記者の反応は、

「取材先の、特に地位や名誉のある人にスマホで撮影なんて失礼だ」

というものだったそうです。

これはけっこう興味深い反応です。

私は4年前からスマホで娘の写真を撮りまくっておりますが、そのアウトプットをアルバムで行うことが親の愛情の現れだ―といったシュプレヒコールを聞いた時と同じような感じがしました。

娘の撮影データはスマホに入っていて、いつでも好きな時に見返すことができるのだから、なぜアルバムにしなければいけないのか?と思う訳ですが、そうは思わない(思いたくない)人々が一方には存在して。

フォトブックは実家の両親のために毎月つくっておりますが自宅用にはつくっていません。
これが、娘が多感なお年ごろになって、

「パパは私の写真をアルバムで作ってくれない。だから愛情がない」

と言うでしょうか。

似たような例だと、娘の保育園の運動会で、同じクラスのパパが一眼レフなど本格的なカメラを持参する中で、わが家はiPhoneのみ。
これは娘が小学校に上がっても変わらないと思いますが、娘が多感なお年ごろになって、

「パパは一眼レフで私を撮ってくれない。だから他のパパに比べて愛情がない」

と言うでしょうか?


取材先で、

「あなたはiPhoneでインタビュー動画を撮る。だから私に対する敬意を感じない」

と言うでしょうか?

これは人間の性(さが)と物事の本質との相克のような気がしますが、口にしないでも、そう感じる可能性はなくはない。

それくらい物体のもつ力というのはあるのだと思います。

それが例えば大きな映像機材であれば高価な印象を与え。
高価であるという印象が、尊重や敬意の現れとなるのは、本当に興味深い。

純金iPhoneとかだったら納得してくれるんだろうか。
(昔、VERTUという100万円の高級携帯電話がありましたね。。)



本来は数枚で済む内容の書類を分厚くすることで仕事をしている感じを受け取ってもらうとか、メールで済む内容を手紙で書いて信頼感を得る、みたいな話も根は同じな気がします。


人とのコミュニケーションにおいて物が持つ影響力というのは、年代やらTPOやら社会的な立場やら色んなものが絡んで参りますが、そこにこだわってビジネスチャンスを逃がしたり、知らぬ間に死に体になっていないように注意しつつ、何はともあれ娘にはこうした空気を察知する能力と、適度に無視できる能力を育んでいきたいと考える次第であります。

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