人が撮った写真の方がいい 人が撮った写真でいい
昔はジャンプの発売日やサンライズ社のアニメの放送日が待ち遠しくてしかたなかったけれど、アラフォーともなると、新作や更新を待ち遠しいと感じることがなくなって参ります。
映画はあまり見ないので、スターウォーズの新作がー!も、アップル製品も愛着ないので、新型iMacがー!も、ハルキストでもないので、新作小説が出ても胸が躍りません。
そんな枯れる一方の私が、唯一更新を楽しみにしているのが妻のInstagramです。
より具体的に言うと、妻がInstagramにアップした娘の写真を見るのが楽しみです。
私は娘が生まれるまで2年間で8枚しかスマホで写真を撮っていないという、写真に無頓着な人間でありました。
娘が生まれて以降は1年8カ月で写真を2,487枚。動画を195本撮って参りましたが、自他ともに認める写真ベタであります。
(※詳しくはこちらをご覧下さい⇒『親バカパパがッ! ジョジョで! 考えるゥゥゥ!! スマホ時代の写真の残し方』)
しかし、自分で撮ったものを見ても大して感動がありません(下手だからだと思いますが)。
一方、どうして妻の撮った写真を早く見たい!待ち遠しい!と感じるのでしょうか?
妻が私よりも写真が上手いということはありましょう。
週に一回くらいしかInstagramにアップしないということもありましょう。
また、単純に自分がいない、見ていないシーンで妻が写真を撮っているということもありましょう。
ただ、同じシーンに居合わせていても、妻の写真が良い、妻の写真を見たいと思うのです。
それは多分、私にはない妻ならではの視点で以て、そのシーンを切り取っているからです。
「あぁ、あのシーンをこう撮ったんだ」
という驚きのようなものがあって。
それがInstagramにアップするにあたって構図を調整したりフィルターをかけたりするものですから、より一層イケてる感じの写真に仕上がる訳です。
同じシーンを共にしている≒記憶を共有している人がいれば、その人の写真を見たくなる―。
その写真を見ると、面白かったり参考になったり感心したり感動したりする。
これって、イベントやワークショップに行った後、他人が書いた感想ブログを読む感覚に近いんですよね。
で、こういう体験をしていると、なんというか自分はもう写真を撮らなくてよくて、妻の写真だけでいいんじゃないかと思えてくるのです。
でも、「じゃあ、もう僕は写真を撮らないよ」と宣言することはできなくて。
妻は妻で私が撮った下手くそ写真の中から使えるものをピックアップして、それを加工してInstagramにアップすることもあるのです。
他人が撮った写真を楽しむという体験はずっとあったものですが、他人が撮った写真を自分で加工して楽しむという行為は、スマホで簡単に撮影とデータ共有ができる時代ならではの楽しみのような気がします。
楽しむための素材を提供しあうというのかなんというか。
人の撮った写真の方がいい。
人が撮った写真でいいと思いつつ、それを享受するには自分もまた撮らなければならないという、テイク&テイクは成り立たず、やはりギブ&テイクなのかなぁと感じる今日この頃であります。
映画はあまり見ないので、スターウォーズの新作がー!も、アップル製品も愛着ないので、新型iMacがー!も、ハルキストでもないので、新作小説が出ても胸が躍りません。
そんな枯れる一方の私が、唯一更新を楽しみにしているのが妻のInstagramです。
より具体的に言うと、妻がInstagramにアップした娘の写真を見るのが楽しみです。
私は娘が生まれるまで2年間で8枚しかスマホで写真を撮っていないという、写真に無頓着な人間でありました。
娘が生まれて以降は1年8カ月で写真を2,487枚。動画を195本撮って参りましたが、自他ともに認める写真ベタであります。
(※詳しくはこちらをご覧下さい⇒『親バカパパがッ! ジョジョで! 考えるゥゥゥ!! スマホ時代の写真の残し方』)
しかし、自分で撮ったものを見ても大して感動がありません(下手だからだと思いますが)。
一方、どうして妻の撮った写真を早く見たい!待ち遠しい!と感じるのでしょうか?
妻が私よりも写真が上手いということはありましょう。
週に一回くらいしかInstagramにアップしないということもありましょう。
また、単純に自分がいない、見ていないシーンで妻が写真を撮っているということもありましょう。
ただ、同じシーンに居合わせていても、妻の写真が良い、妻の写真を見たいと思うのです。
それは多分、私にはない妻ならではの視点で以て、そのシーンを切り取っているからです。
「あぁ、あのシーンをこう撮ったんだ」
という驚きのようなものがあって。
それがInstagramにアップするにあたって構図を調整したりフィルターをかけたりするものですから、より一層イケてる感じの写真に仕上がる訳です。
同じシーンを共にしている≒記憶を共有している人がいれば、その人の写真を見たくなる―。
その写真を見ると、面白かったり参考になったり感心したり感動したりする。
で、こういう体験をしていると、なんというか自分はもう写真を撮らなくてよくて、妻の写真だけでいいんじゃないかと思えてくるのです。
でも、「じゃあ、もう僕は写真を撮らないよ」と宣言することはできなくて。
妻は妻で私が撮った下手くそ写真の中から使えるものをピックアップして、それを加工してInstagramにアップすることもあるのです。
他人が撮った写真を楽しむという体験はずっとあったものですが、他人が撮った写真を自分で加工して楽しむという行為は、スマホで簡単に撮影とデータ共有ができる時代ならではの楽しみのような気がします。
楽しむための素材を提供しあうというのかなんというか。
人の撮った写真の方がいい。
人が撮った写真でいいと思いつつ、それを享受するには自分もまた撮らなければならないという、テイク&テイクは成り立たず、やはりギブ&テイクなのかなぁと感じる今日この頃であります。