「問い」は「行動」を起こすためのエンジン 〜4歳娘の問いストーリー
2015年末に、こんなポストをしたら、子持ちの親友達が反応してくれて、それ以来なんとなく子どもの「問い」というものを考えていました。
そんなある日、散歩中に寄ったパン屋さんで子どもの問いに関する啓示が降りてきたので、メモっておきたいと思います。
3才前後になると自分が見聞きし、出会うモノゴトに対して、何かにつけ「なんで?」と質問してくるようになってきます。
この子どもの「なんで?」という「問い」や「疑問」は、最初はそれはもう微笑ましいものですが、ソクラテスも顔負けの熱心さと、執拗さと、気まぐれによって何度も何度も繰り返されるようになります。
これは質問される親にとってはなかなかツライものです。
この時期の子どもの「問い」は、好奇心の発芽として大事につきあっていきたいものの、「問い」の対象は3歳児にわかるよう説明するのは難しかったり、そもそも自分にもわからない事だったりします。また、同じことを何度も繰り返してきてウンザリすることもしばしば。
そこで、
・子どもの「問い」にどう付き合うか?
・「問い」に付き合うことが、なぜ大事なのか?
・「問い」の力をつけることが、将来どんな役に立つのか?
といった一連のことを、4歳娘との体験を元に、何回かに分けて考えていきたいと思います。
■人見知りの娘が「見知らぬ他人に話しかける」という行動を起こした!
本題に入る前に、私が子どもの「問い」について考えるようになったエピソードを聞いてください。
娘は超のつく人見知りで、私の兄弟や友人に会ってもなかなか口を聞こうとしません。ムスッと怒ったような顔をして、私の陰にずっと隠れているタイプです。
チャライ男や稼げない男にはいつまでもこの態度でいてくれて良いのですが、これからのグローバル社会を万一結婚できなくとも、しなやかに生き抜いていくためには、他者とのコミュニケーション能力を身につけていってほしいところです。
そんな娘と、ある休日に自転車で買い物に出かけ、一度訪れたことのあるパン屋さんの前を通りかかりました。
娘はその店内のすみっこに、子ども向けの小さな遊び場があるのを覚えており、自転車の後部座席から「なんでパン屋さんには遊び場があるのかなぁ?」と私に聞いてきました。
そこで私は、「パン屋さんに聞いてみよか?」と誘ったところ、「うん!」とうなずいたので二人でお店に入りました。
カウンターの前に立った娘は、一度私を振り返った後、意を決したようにカウンター奥のパン屋の奥さん(御主人には面識あるのですが奥さんは初めて)に、
「どうして遊び場があるんですか!?」
と、ほっぺを真っ赤にして大声で質問しました。
数秒の間を置いて、「どうしてだと思う?」と奥さんが聞き返してきました。
すると娘は「う~ん」と言ってから、先ほどの勢いそのままに、
「パパとかママがかいものをしているあいだ、まっていられるように!」と答えると、
奥さんは「せいかいっ!!よくわかったね~。」と返してくれたのです。
その時の娘の喜んだ顔ったらありませんでしたが、この出来事における最大の驚きは、人見知りの娘が「見知らぬ他人に自ら声をかける」という行動を起こしたことです。
■『行動』を起こすために必要な『疑問を感じる』ことと『問いを立てる』こと。
さあ、ここからが本題です。
人見知りの娘が、なにゆえこのように勇気のいる行動を起こすことができたのか?
そんなにパンが食べたかったのか?
そんなに遊び場に寄りたかったのか?
そのために、「なんでパン屋さんには遊び場があるのかなぁ?」という手の込んだつぶやきをしたのか?
確かに娘は、遅く帰宅した私のご相伴にあずかりたいがため、「パパこのお肉おいしいでしょ?」と声をかけてきたり、おもちゃ屋で「プリキュアすきなんだ~」と言ったりして、遠回しに自分のしたい事を表現してきます。
しかし、これらのケースは私に直接話しかければ済むものの、今回のケースは見知らぬ他人に声をかけねばならないのです。
娘にとっては千仭の谷底へバンジージャンプするほどの勇気がいったはずです。
この娘の行動の秘密を解き明かすため、まず今回の娘の心と行動の経過を図式化してみましょう。
図にしたところの、『疑問を感じる』から『行動』にジャンプアップできた理由を私は知りたい訳ですが、この図を見るかぎり『親の介助』が大事であるようです。
ただ、『親の介助』だけで、勇気ある『行動』が起こるでしょうか。
まず大事なのは「なぜ、パン屋さんに遊び場があるのか?」という『疑問を感じる』ことそのものです。
この疑問は子どもの傍に親がいれば、それが習性であるかのようにすぐに聞いてきます。疑問を感じてから行動するまでに要する勇気はなきに等しいのですね。
しかし、この疑問が子どもの中で「どうしても知りたい」とのっぴきならなくなり、親もそれに応えられなくなった時に、見知らぬ他者にも質問をするという驚くべき行動に出ることができるのではないでしょうか。『親の介助』はこうしたタイミングで初めて機能するのだと思います。
次に大事なのは、疑問に感じたことに対し、「こうなんじゃないかなぁ」「こうだからかなぁ」という『問いを立てる』ことです。
『問いを立てる』というのは大人っぽく言えば仮説を立てるということですが、この『問いを立てる』力を育むには親の介助が必要です。
子どもが「なんで?」と聞いたことに対して、「こうだからだよ」と応答してあげることの積み重ねが、子どもが自ら『問いを立てる』ことにつながっていきます。
つまり、子どもが『行動』を起こすためのガソリンが『疑問を感じる』という所にあり、ガソリンを燃焼させるためのエンジンが『問いを立てる』ことなのです。
■『疑問を感じる』力、『問いを立てる』力を育むには親の付き合い方が重要
冒頭で私は3歳娘の「なぜなぜ」=『疑問を感じる』ことが頻繁に起こると述べました。
では、子どもが『疑問を感じる』ことは、荒涼たる砂漠にて湧き続けるオアシスのごとく、永遠に枯れることはないのでしょうか?場所を問わず生えてくるナガミヒナゲシのごとく、いつでもどこでも生まれてくるのでしょうか。
「問い(問う)」とは、「未知のものを知ろうとすること」と「すでに知っているものに疑問をもつこと」とい2種類の意味がありますが、みなさんは大人になった今も、「問い」を持ち続けていらっしゃいますか?
疑問に感じたことや知らなかったことに遭遇して、新鮮な気持ちで「もっと知りたい」と感じたり、好奇心をもって接しているでしょうか?
残念ながら私はできていません。多くの人が年を取れば取るほどに、『疑問を感じる』ことはなくなっていきます。疑問を感じたことに対して『問う』ことをしなくなります。
それは子どもであっても同じです。
何事かに遭遇すれば「なんで?」と感じてしまう子どもといえど、親の付き合い方次第では『疑問を感じる』力を萎えさせてしまう恐れがあります。
疑問を感じなくなった子どもは、どんな大人になるでしょう?
・人の言うことを鵜呑みにし、自分で考えることをしない。
・ああせいこうせいと人が指示しないと、いつまでも指示待ち族になる。
・指示してくれる人がいないと、どうしていいかわからない人間になる。
こうした未来を回避し、子どもが好奇心と疑問を感じる力を持ち続けていくためには、子どもの「なんで?」への付き合い方が非常に重要であるということを、私はこのパン屋さんでの出来事から感じたのです。
たかがパン屋の出来事が、人間の成長について考えさせるという大げさな事になってしまいました。
ここで一旦、本稿のポイントをまとめておきましょう。
*『疑問を感じる』ことは子どもが『行動』を起こすためのガソリンである。
*『問いを立てる』ことは子どもが『行動』を起こすためのエンジンである。
*『疑問を感じる』ことは、永遠に起こらない。
*『疑問を感じる』力、『問いを立てる』力を育むには親の付き合い方が重要である。
文字数もずいぶん増えて参りましたので、今回はここで筆を置き、次回は『子どもの「問い」にどう付き合うか?』について書きたいと思います。
以上、親バカが最前線からお伝えしました。
ちなみに、このパン屋さんは杉並区の五日市街道沿いにあるSONKAというフランスパン専門店で、個人的には「あんバター」を熱烈推奨しております。
そんなある日、散歩中に寄ったパン屋さんで子どもの問いに関する啓示が降りてきたので、メモっておきたいと思います。
3才前後になると自分が見聞きし、出会うモノゴトに対して、何かにつけ「なんで?」と質問してくるようになってきます。
この子どもの「なんで?」という「問い」や「疑問」は、最初はそれはもう微笑ましいものですが、ソクラテスも顔負けの熱心さと、執拗さと、気まぐれによって何度も何度も繰り返されるようになります。
これは質問される親にとってはなかなかツライものです。
この時期の子どもの「問い」は、好奇心の発芽として大事につきあっていきたいものの、「問い」の対象は3歳児にわかるよう説明するのは難しかったり、そもそも自分にもわからない事だったりします。また、同じことを何度も繰り返してきてウンザリすることもしばしば。
そこで、
・子どもの「問い」にどう付き合うか?
・「問い」に付き合うことが、なぜ大事なのか?
・「問い」の力をつけることが、将来どんな役に立つのか?
といった一連のことを、4歳娘との体験を元に、何回かに分けて考えていきたいと思います。
■人見知りの娘が「見知らぬ他人に話しかける」という行動を起こした!
本題に入る前に、私が子どもの「問い」について考えるようになったエピソードを聞いてください。
娘は超のつく人見知りで、私の兄弟や友人に会ってもなかなか口を聞こうとしません。ムスッと怒ったような顔をして、私の陰にずっと隠れているタイプです。
チャライ男や稼げない男にはいつまでもこの態度でいてくれて良いのですが、これからのグローバル社会を万一結婚できなくとも、しなやかに生き抜いていくためには、他者とのコミュニケーション能力を身につけていってほしいところです。
そんな娘と、ある休日に自転車で買い物に出かけ、一度訪れたことのあるパン屋さんの前を通りかかりました。
娘はその店内のすみっこに、子ども向けの小さな遊び場があるのを覚えており、自転車の後部座席から「なんでパン屋さんには遊び場があるのかなぁ?」と私に聞いてきました。
そこで私は、「パン屋さんに聞いてみよか?」と誘ったところ、「うん!」とうなずいたので二人でお店に入りました。
カウンターの前に立った娘は、一度私を振り返った後、意を決したようにカウンター奥のパン屋の奥さん(御主人には面識あるのですが奥さんは初めて)に、
「どうして遊び場があるんですか!?」
と、ほっぺを真っ赤にして大声で質問しました。
数秒の間を置いて、「どうしてだと思う?」と奥さんが聞き返してきました。
すると娘は「う~ん」と言ってから、先ほどの勢いそのままに、
「パパとかママがかいものをしているあいだ、まっていられるように!」と答えると、
奥さんは「せいかいっ!!よくわかったね~。」と返してくれたのです。
その時の娘の喜んだ顔ったらありませんでしたが、この出来事における最大の驚きは、人見知りの娘が「見知らぬ他人に自ら声をかける」という行動を起こしたことです。
■『行動』を起こすために必要な『疑問を感じる』ことと『問いを立てる』こと。
さあ、ここからが本題です。
人見知りの娘が、なにゆえこのように勇気のいる行動を起こすことができたのか?
そんなにパンが食べたかったのか?
そんなに遊び場に寄りたかったのか?
そのために、「なんでパン屋さんには遊び場があるのかなぁ?」という手の込んだつぶやきをしたのか?
確かに娘は、遅く帰宅した私のご相伴にあずかりたいがため、「パパこのお肉おいしいでしょ?」と声をかけてきたり、おもちゃ屋で「プリキュアすきなんだ~」と言ったりして、遠回しに自分のしたい事を表現してきます。
しかし、これらのケースは私に直接話しかければ済むものの、今回のケースは見知らぬ他人に声をかけねばならないのです。
娘にとっては千仭の谷底へバンジージャンプするほどの勇気がいったはずです。
この娘の行動の秘密を解き明かすため、まず今回の娘の心と行動の経過を図式化してみましょう。
図にしたところの、『疑問を感じる』から『行動』にジャンプアップできた理由を私は知りたい訳ですが、この図を見るかぎり『親の介助』が大事であるようです。
ただ、『親の介助』だけで、勇気ある『行動』が起こるでしょうか。
まず大事なのは「なぜ、パン屋さんに遊び場があるのか?」という『疑問を感じる』ことそのものです。
この疑問は子どもの傍に親がいれば、それが習性であるかのようにすぐに聞いてきます。疑問を感じてから行動するまでに要する勇気はなきに等しいのですね。
しかし、この疑問が子どもの中で「どうしても知りたい」とのっぴきならなくなり、親もそれに応えられなくなった時に、見知らぬ他者にも質問をするという驚くべき行動に出ることができるのではないでしょうか。『親の介助』はこうしたタイミングで初めて機能するのだと思います。
次に大事なのは、疑問に感じたことに対し、「こうなんじゃないかなぁ」「こうだからかなぁ」という『問いを立てる』ことです。
『問いを立てる』というのは大人っぽく言えば仮説を立てるということですが、この『問いを立てる』力を育むには親の介助が必要です。
子どもが「なんで?」と聞いたことに対して、「こうだからだよ」と応答してあげることの積み重ねが、子どもが自ら『問いを立てる』ことにつながっていきます。
つまり、子どもが『行動』を起こすためのガソリンが『疑問を感じる』という所にあり、ガソリンを燃焼させるためのエンジンが『問いを立てる』ことなのです。
■『疑問を感じる』力、『問いを立てる』力を育むには親の付き合い方が重要
冒頭で私は3歳娘の「なぜなぜ」=『疑問を感じる』ことが頻繁に起こると述べました。
では、子どもが『疑問を感じる』ことは、荒涼たる砂漠にて湧き続けるオアシスのごとく、永遠に枯れることはないのでしょうか?場所を問わず生えてくるナガミヒナゲシのごとく、いつでもどこでも生まれてくるのでしょうか。
「問い(問う)」とは、「未知のものを知ろうとすること」と「すでに知っているものに疑問をもつこと」とい2種類の意味がありますが、みなさんは大人になった今も、「問い」を持ち続けていらっしゃいますか?
疑問に感じたことや知らなかったことに遭遇して、新鮮な気持ちで「もっと知りたい」と感じたり、好奇心をもって接しているでしょうか?
残念ながら私はできていません。多くの人が年を取れば取るほどに、『疑問を感じる』ことはなくなっていきます。疑問を感じたことに対して『問う』ことをしなくなります。
それは子どもであっても同じです。
何事かに遭遇すれば「なんで?」と感じてしまう子どもといえど、親の付き合い方次第では『疑問を感じる』力を萎えさせてしまう恐れがあります。
疑問を感じなくなった子どもは、どんな大人になるでしょう?
・人の言うことを鵜呑みにし、自分で考えることをしない。
・ああせいこうせいと人が指示しないと、いつまでも指示待ち族になる。
・指示してくれる人がいないと、どうしていいかわからない人間になる。
こうした未来を回避し、子どもが好奇心と疑問を感じる力を持ち続けていくためには、子どもの「なんで?」への付き合い方が非常に重要であるということを、私はこのパン屋さんでの出来事から感じたのです。
たかがパン屋の出来事が、人間の成長について考えさせるという大げさな事になってしまいました。
ここで一旦、本稿のポイントをまとめておきましょう。
*『疑問を感じる』ことは子どもが『行動』を起こすためのガソリンである。
*『問いを立てる』ことは子どもが『行動』を起こすためのエンジンである。
*『疑問を感じる』ことは、永遠に起こらない。
*『疑問を感じる』力、『問いを立てる』力を育むには親の付き合い方が重要である。
文字数もずいぶん増えて参りましたので、今回はここで筆を置き、次回は『子どもの「問い」にどう付き合うか?』について書きたいと思います。
以上、親バカが最前線からお伝えしました。
ちなみに、このパン屋さんは杉並区の五日市街道沿いにあるSONKAというフランスパン専門店で、個人的には「あんバター」を熱烈推奨しております。