子供は何歳から物語をつくれるの?
2歳10か月になる娘が、居間に置いてあったプレイマットを紙芝居に見立てて、創作紙芝居をするようになりました。
このマットを使ってどんなお話をしたのか、少しお付き合い下さい。
・・・・・・・(はじまり、はじまり)・・・・・・・・
「よるはぁ、いっぱいっ、ねた」
「でもかなしいんです」
「あー、ないちゃうんです」
「(小声で)かなしいんです」
「つぎはね」
「わにわにちゅんちゅんしました」
「(小声で)でもかなしいんです」
「なんでもぉ」
「〇✕※しました」
「だからぁ」
「わにわにちゅんちゅんしました」
「おぉしぃまい!」
話と絵柄にまったく相関性がなく、話自体にも文脈がないのですが、家に置いてある『ワニワニシリーズ』の絵本が元ネタになったであろうことがしのばれます。
私「いまのはなんていうお話?」
(マットをじっと見て)
娘「ペンのおはなしなんだよ!」
私「誰が考えたお話なの?」
娘「●●●(娘の名前)だよ」
それから数日後。
同じマットでも話の内容は変わるようで、今しばらくお付き合い下さい。
「かーみしばい、かーみしばい、ぱーちぱーち、うーれーしいかーみしばい」
(これは保育園で保育士が紙芝居を読み始める時の手遊びだそうです)
・・・・・・・(はじまり、はじまり)・・・・・・・・
「〇✕※したのはぁ、パパです」
「ちいさいこは、じんじんの、まわりには、おちゃわんかいたのは、ぱぱです」
「ぷっぷで、おがわですよ」
(プレイマットがバラバラになってしまい一時中断)
「リスさんとうさぎさんがいました」
「せーこいは、なんじゃいなから」
「うさぎさーんてよんでね」
「うさぎさーんてよんで!」
(これは娘が私にそう呼べと呼びかけているのでした)
私「うさぎさーん」
娘「せーこーい!」
「まえの、うしろがガラガラ―とあいて、げんかんのしっていました」
「げんかんのおさらのぉ、まわりにはぁ、おしっとのおばあちゃんです」
「いちばんちいさいぃ、〇✕※に、いちばんおっきいのがいました」
「ところがぁ」
「ガラガラ―とドアがあいて、けんかするのはだれだーといいました」
「それでね」
「わかった、ぎゅうにゅうのもー。おやつのもー、ってケンカして、おわって」
「それから、よーがーでーすーっていうに〇✕※〇✕※」
「おーしーまい!」
私「なんておはなしですか?」
娘
「ぞーさん、けんかするからね、わかった!おやつたべよーって、おかーさーんっ、てよんでー、
おやつだしてーっていって、とどかないからぁ、ぱぱもだしてーって、ねー、ってさー、ってかんがえたぁ!」
私「・・・っていうお話なのかぁ。誰が考えたお話なの?」
娘「●●●(娘の名前)だよ」
これまら絵柄とお話に相関性はまったくありません。
この創作紙芝居に反映されているであろう元ネタは、『きれいなはこ』という絵本や『ずいずいずっころばし』等の手遊びのようで、この他に私の知らない保育園で読み聞かせしてもらっているお話などもあるのでしょう。
■記憶を呼び出す依代=レファレンスが創作のカギ
私たちは今様々なキロクをエバーノートやGoogle Driveに保存して、いつでも簡単に取り出せるようにして大変便利な思いをしていますが、幼児のこうした情報を呼び出す仕組みに対する(先天的な)工夫を目の当たりにすると、キロクというものをもう少し楽しめるように思いました。
以上、親バカが最前線からお伝えしました。
(正しい商品名はジョイントマットだそうです) |
このマットを使ってどんなお話をしたのか、少しお付き合い下さい。
・・・・・・・(はじまり、はじまり)・・・・・・・・
「よるはぁ、いっぱいっ、ねた」
「でもかなしいんです」
「あー、ないちゃうんです」
「(小声で)かなしいんです」
「つぎはね」
「わにわにちゅんちゅんしました」
「(小声で)でもかなしいんです」
「なんでもぉ」
「〇✕※しました」
「だからぁ」
「わにわにちゅんちゅんしました」
「おぉしぃまい!」
話と絵柄にまったく相関性がなく、話自体にも文脈がないのですが、家に置いてある『ワニワニシリーズ』の絵本が元ネタになったであろうことがしのばれます。
私「いまのはなんていうお話?」
(マットをじっと見て)
娘「ペンのおはなしなんだよ!」
私「誰が考えたお話なの?」
娘「●●●(娘の名前)だよ」
それから数日後。
同じマットでも話の内容は変わるようで、今しばらくお付き合い下さい。
(これは保育園で保育士が紙芝居を読み始める時の手遊びだそうです)
・・・・・・・(はじまり、はじまり)・・・・・・・・
「〇✕※したのはぁ、パパです」
「ちいさいこは、じんじんの、まわりには、おちゃわんかいたのは、ぱぱです」
「ぷっぷで、おがわですよ」
(プレイマットがバラバラになってしまい一時中断)
「リスさんとうさぎさんがいました」
「せーこいは、なんじゃいなから」
「うさぎさーんてよんでね」
「うさぎさーんてよんで!」
(これは娘が私にそう呼べと呼びかけているのでした)
私「うさぎさーん」
娘「せーこーい!」
「まえの、うしろがガラガラ―とあいて、げんかんのしっていました」
「げんかんのおさらのぉ、まわりにはぁ、おしっとのおばあちゃんです」
「いちばんちいさいぃ、〇✕※に、いちばんおっきいのがいました」
「ところがぁ」
「ガラガラ―とドアがあいて、けんかするのはだれだーといいました」
「それでね」
「わかった、ぎゅうにゅうのもー。おやつのもー、ってケンカして、おわって」
「それから、よーがーでーすーっていうに〇✕※〇✕※」
「おーしーまい!」
私「なんておはなしですか?」
娘
「ぞーさん、けんかするからね、わかった!おやつたべよーって、おかーさーんっ、てよんでー、
おやつだしてーっていって、とどかないからぁ、ぱぱもだしてーって、ねー、ってさー、ってかんがえたぁ!」
私「・・・っていうお話なのかぁ。誰が考えたお話なの?」
娘「●●●(娘の名前)だよ」
これまら絵柄とお話に相関性はまったくありません。
この創作紙芝居に反映されているであろう元ネタは、『きれいなはこ』という絵本や『ずいずいずっころばし』等の手遊びのようで、この他に私の知らない保育園で読み聞かせしてもらっているお話などもあるのでしょう。
■記憶を呼び出す依代=レファレンスが創作のカギ
ここから娘がどのようにして物語(と呼ぶにはなはだ不完全でありますが)を創作できたのかを考えてみたいと思います。
情報の容れ物としての大脳は、自分の出身地や家族の誕生日程度であればすぐに思い出せますが、少し複雑であったり、縁遠くなった事象を思い出すにはただ容れておくだけでは不完全で、それを呼び出すための「参照の仕組」が必要なのだそうです。
このため、古来より様々な記憶術と索引術が試されてきた訳ですが、子供の場合はそもそもの容量に限りがあるのと、よほど印象的な出来事や感情と結びついていなければ、その記憶を思い出す=呼び出すことは難しいように思います。
こうした能力、技術を持たない幼児が、頭の中で自分に蓄積した物語の記録をつむいで新しい物語を創作するのは至難でありましょう。
この時、娘が物語を呼び出すツール=依代(よりしろ)となっているのが、「紙芝居に見立てたマット」、ページをめくるといった「紙芝居を読む所作」、そして「発する単語や音」であると考えられます。
ツールが「紙芝居のように扱える絵柄のあるマット」ではなく、無地の下敷きや封筒であったなら、物語はつむがれていないと思うのです。
(今度やってみよう)
(※数珠も経文を呼び出すための記憶の補助ツールと考えられる)
また、娘の脳みそというコンテナは、たぶん鮮度の高い、インプットされたばかりの情報が古い情報をどんどん上書きしていき、その時の感情等と結びついて強く印象付けられているものが取り出されて物語を作っているのでしょうが、口から出る単語や音がまた一つのレファレンスとなって、次の単語や物語の一節を数珠つなぎのように呼び出しているのではないでしょうか。
情報の容れ物としての大脳は、自分の出身地や家族の誕生日程度であればすぐに思い出せますが、少し複雑であったり、縁遠くなった事象を思い出すにはただ容れておくだけでは不完全で、それを呼び出すための「参照の仕組」が必要なのだそうです。
このため、古来より様々な記憶術と索引術が試されてきた訳ですが、子供の場合はそもそもの容量に限りがあるのと、よほど印象的な出来事や感情と結びついていなければ、その記憶を思い出す=呼び出すことは難しいように思います。
こうした能力、技術を持たない幼児が、頭の中で自分に蓄積した物語の記録をつむいで新しい物語を創作するのは至難でありましょう。
この時、娘が物語を呼び出すツール=依代(よりしろ)となっているのが、「紙芝居に見立てたマット」、ページをめくるといった「紙芝居を読む所作」、そして「発する単語や音」であると考えられます。
ツールが「紙芝居のように扱える絵柄のあるマット」ではなく、無地の下敷きや封筒であったなら、物語はつむがれていないと思うのです。
(今度やってみよう)
(※数珠も経文を呼び出すための記憶の補助ツールと考えられる)
また、娘の脳みそというコンテナは、たぶん鮮度の高い、インプットされたばかりの情報が古い情報をどんどん上書きしていき、その時の感情等と結びついて強く印象付けられているものが取り出されて物語を作っているのでしょうが、口から出る単語や音がまた一つのレファレンスとなって、次の単語や物語の一節を数珠つなぎのように呼び出しているのではないでしょうか。
これが脳みその発達に伴い、物語を丸ごと暗唱したり、NHK Eテレの『みいつけた!』の1コーナーで、保育園児や幼稚園児が両掌を絵本に見立てて物語をそらんじていく『おててえほん』のように、物語を依代なしで組み立てていけるようになるのでしょう。
私たちは今様々なキロクをエバーノートやGoogle Driveに保存して、いつでも簡単に取り出せるようにして大変便利な思いをしていますが、幼児のこうした情報を呼び出す仕組みに対する(先天的な)工夫を目の当たりにすると、キロクというものをもう少し楽しめるように思いました。
以上、親バカが最前線からお伝えしました。