お手伝いは面倒なものでなければいけないのか?

アーネが3年生になって、一家の一員として、お手伝いを一つ任せたいと思うようになりました。
漠然と、です。

漠然と思ったのがいけないのか、お手伝いを任せるにあたって、何をもってしてお手伝いというのか?どんなことをしていたらお手伝いになるのか?ということがわからなくなりました。

私は両親が共働きだったこともあってか、子どものころは、家に帰ったら洗濯物を取り込む、風呂を洗って汲む、ゴミを出すといったお手伝いを経験し、時に、お米を研いで炊く、食器を洗うといったものがありました。
(小学3年生のとき、授業中ににわか雨が降ってきて、担任の先生に「洗濯物を取り込みにいってもいいですか!?」と聞いて、一時帰宅させてもらったこともあるそうです。覚えていないんですが、なんて先生だ)

何をもってしてお手伝いというのか?
どんなことをしていたらお手伝いになるのか?
お手伝いをして、私はアーネにどうなっていてほしいのか?
お手伝いをしてもらって、わが家がどうなっていたらいいのか?

わからぬまま、思いつくお手伝いを書き出して、リストにします。

私は小学校の通信簿の「身の周りの整理整頓ができている」という生活態度の項目が、ABC評価で常にCで、日ごろの家事もついついダダクサにやってしまうこともあって、リストに書き出しながら、面倒くさいなぁ、やりたくないなぁと感じていました。

お手伝いというのは、面倒くさくて、やりたくないものなのか?
苦役なのか?

また、家事一つ一つは細分化ができます。

洗濯物一つとっても、取り込む→ハンガーから外す→たたむ→押し入れに入れるという行為があります。ものによってはアイロンをかけるというものもあります。アーネであれば、毎週私がかけていた給食用の上着にアイロンをかけることも手伝いになりそうです。

私は家事のなかでも、特にアイロンがけが億劫です。
アーネがアイロンがけをしてくれたら、とても助かります。ありがたい。

おぉ、お手伝いとは家族が助かるものなのか?
家族のためにやるものなのでしょうか?

「子ども、お手伝い」と検索すると、お手伝いすることのメリットなどが散見されますが、そのなかに「責任感が身につく」とあります。

私が面倒くさい、億劫と感じる家事を、アーネが喜んで、楽しくやるかどうかわかりません。同じように面倒くさい、億劫と感じるかもしれません。いや多分そうだ。

面倒くさいなぁ、やりたくないなぁと感じながらやる手伝いが、責任感が身につくことにつながるのかよくわかりません。
また、「これをやりなさい」でも「これをやってちょうだい」でも、他者から与えられたものに対して、責任が身につくのかどうか。

どうせやるなら、楽しくやった方がいいんじゃないか?

アーネとジージョに早く風呂に入ってほしいとき、「虫歯建設株式会社ごっこをしていいよ」と言うと、二人して嬉々として風呂掃除をします。
子ども向けの番組でやっていたという「虫歯建設株式会社」という歌のMVのイメージから、風呂の壁を歯に見立てて、ブラシなどでゴシゴシ洗ってから風呂に入ります。もともとジージョが虫歯建設株式会社を歌いながら、家の壁をデッキブラシで洗っていたのを見たのがキッカケでした。

水道代がどれほど無駄になっているかわからないですが、面倒なことでなければお手伝いではないのか?結果的に風呂掃除ができるなら、遊びであっても良いのではないか?
遊びは、お手伝いとは言わないのか?

そんなことを色々考えながら書き出したリストを見て、せめて、アーネが自分が選べるようにした方がいいんじゃないか?と思い、アーネが「これならできそう」と思えるお手伝いを選んでもらうことにしました。

リストにはそのお手伝いは、朝昼晩のどのタイミングで、どのくらいの頻度で行うのかを書きます。風呂掃除であれば毎日。ゴミ出しであれば月火水金。そのお手伝いにかかるであろう所要時間も。ついでに、パパがやってくれると助かる・嬉しいものにはハートマークをつけておきます。

リストにして、作業を細分化してみると、自分でやった方がいいと思うものばかりです。
最初からこちらが望むような仕上がりにならないのですから、やり方を一通り教え、望む仕上がりにならなくても「それでよし」と構え、折に触れてよいやり方を伝えながら、できるようになるのを見守る。けしてイライラなどしてはいけません。

アーネは風呂掃除を選びましたが、やってみてしっくりこなければ、他のお手伝いにチェンジしていいことを伝えました。
また、アーネがお手伝いをしてみて、パパやママがやっていない、とてもいいやり方を発見したら、ボーナスが出ることも伝えました。

ところで、自分の頭の中だけで細分化した作業というのは、まことにアテにならないものです。
わが家は主にジージョの遊び用に、お祭りでゲットしたスーパーボールやら、赤ちゃんの頃イケアでかったカップなどがあり、これらでお店屋さんごっこをするのですが、これの水を切って、風呂ふたに置いてあります。


風呂掃除をするには、このスーパーボールたちを先に片づけなければなりません。
風呂掃除というお手伝いには、風呂ふたを取る→スーパーボールをどける→洗う→お湯を汲むという作業があり、アーネとの話し合いの結果、洗濯物をする際の水をくみ取るときに、私がスーパーボールを片づけておく、という分業をすることになりました。

家の作業のことについて話し合い、誰が何をどうするか、役割分担を決める。

この行為はなかなか良いもののように感じました。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

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